梶川ゆきこ広島県議の一連の発言問題続報

前回エントリ「梶川ゆきこ広島県議のtwitterやブログでの一連の発言に関して」で扱った、梶川議員のtwitterやブログでの発言問題に関して、また展開があったので続報としてまとめておく。

前回のエントリ以来、梶川議員はまた新たに2つのブログエントリをアップした。

「「情報の奴隷」になってはならない!」 

「差別と貧困をなくし、平等で社会の絆のある日本をつくろう!」

時折の議員によるtwitterでのつぶやき(@yukiko_kajikawa)も加わって、議員による発信のひどさが増すばかりの状態になっている。

私は梶川議員の問題ツイート以来、梶川議員をフォローしはじめ、間もなく梶川議員にもフォローされるようになったのだが、日本時間の11月6日から7日にかけての深夜に、ブロックされることとなった。私のほか、梶川議員に質問をされていたwatarlooさんなどもブロックされたという。

「情報の奴隷になってはならない!」のエントリでは、ご自分が「一次情報」に接しているのだとし、それに基づいて判断を下すことこそ正しい姿勢であるという主張、そしてネットでの実名化に賛成するとし、匿名批判をしている。

「一次情報」に関して。私は文化人類学者なので、フィールド調査をして「一次情報」を集めるのを専門とし、職業としている。しかしながら、自らの触れる「一次情報」は、あくまでも「私」の視点を通した、「私」に語ってくれたものであり、それが偏っているだろうことは当然であると認識している。そのために、人類学者は自らのフィールド調査のほかにも、先行研究をみたり、そうした情報をみるための理論的視点を養ったり、ほかの人たちが得たデータを参考にしたり、マスコミ報道、ネット情報などを含め、総合的に状況をみていくわけだ。

そしてある意味、学者より県議というのははるかに市民の現実を変えうる力をもっている人たちだともいえる。そういう人たちが、自らの得た「一次情報」は限定されているかもしれない、ということを認識されていないのは問題だ。一次情報の重要性は職業柄私も身にしみて感じるところだが、それだけに頼らず総合的に解釈することも重要であると常に認識すべきだと思っている。

また、梶川議員は以下のように言う。

実名で書き込む情報に対して、人は責任を持ちますし、受け手は情報に信頼性を感じます。
インターネット上の匿名の“自称・研究者”、“自称・学者”の正体が高校生であったとか…あり得る話です。

梶川議員に対して主に意見を言っていた人たちの中で、「研究者」であると自らを指していたのは私だ。ほかにもいらっしゃったとは思うが、もっとも多くこの件についてツイートしてきた「研究者」は私のように思う。私が高校生だと言われたいのかどうかわからないが(私の実名とハンドルの関係は、ちょっと検索すればすぐ出てくるのだが)、そもそも梶川議員は、この一連の件はセクハラに関する議論から始まったというのを忘れてはいまいか。セクハラなどの性暴力の被害者は、ネットで実名を公開するのを躊躇するであろうことは、誰にでも容易に理解できることではなかったのか。それを、セクハラをなくすことにこれだけ熱心であると公言する議員が理解できないとは、、梶川議員のこの主張はすなわち、実名を出すのに躊躇する/出せない状況にある人たちの意見は信用に足るに値しない、といっていることにはならないか。

一連の議論に大きく関連することではないが、一応以下の議員の主張にも言及。

人類の歴史の中で人は日々の食べ物を得るために奴隷となり、主のために働かされた不幸な時代がありました。

人々は「日々の食べ物を得るために」奴隷になったわけではなく、強制的に労働に従事させられたわけだ。奴隷制度に関する知識のなさを露呈していると思う。

そして、最新のエントリ、「差別と貧困をなくし、平等で社会の絆のある日本をつくろう!」。これには本当に言葉を失った。

「時代の潮流は、ダイバーシティ(多様性)」と言いつつ、

家でカアちゃんに優しくされない欲求不満な男の憂さ晴らし…これはセクハラ被害者から事実関係の背景の話として現場の声を相談のときに実際に受けています。

会社外、風俗とか夜の繁華街で欲求を解消すればいいじゃないか…とセクハラ被害者が思うことが悪いことでしょうか?

いきなりここで「セクハラ被害者が思うこと」だったと言いだしているのだが、前回ブログで言及した「釣り宣言」

.@yamtom @friendsroots セクハラ防止策が実効性を持たないことに非常に苛立ちを覚えています。 だから、様々なつぶやき(今の政界で思われていること)に対して、どんな化学反応が起きるのか、試してみました。 お騒がせしました。

この内容と矛盾する。結局、どのツイートがいったい誰の意見なのかわからないままだ。

いづれにせよ、このブログエントリのほうでの梶川議員の発言は、twitter上で様々な人たちからも指摘されているように、「被害者の声」をたんに利用しているものにすぎない。私はあくまでも梶川議員の主張を批判しているのであり、梶川議員が話してきたという「被害者」の方を批判してはいないし、その方々の声も批判してはいない。

被害者がそう言われたということは否定しないしそれを批判もしないが、それを議員である梶川氏が、セクハラというものは「家でカアちゃんに優しくされない欲求不満な男の憂さ晴らし」であると決めつけてしまうのは意味がちがうし、問題だろう。twitterを見る限りでは、どうやら梶川議員が相談をうけていたケースにおいて、加害者が単身赴任の男性であるケースが一件、独身男性であるケースが一件あったと思われる。だが、それだけをもって「セクハラの加害者は欲求不満を解消できない単身赴任や独身男性」と決めつけることはあってはならないし、セクハラの理由が「欲求不満」であるとする理由にもならない。

また、別のツイートでは以下のように述べている。

セクハラ被害者を守るために家庭で性暴力を容認とは言ってはいません。性欲処理は、職場でするなと言っているだけです。 家庭で妻との関係性が壊れたセクハラ夫の問題を職場に押しつけるなというのが被害者の声です。妻への暴力DVも問題です。

これでは、家庭にいる女性や風俗や「夜の繁華街」で働く女性たちより、職場/企業などにいる女性が優先されるといっているようだ。だが、いかなる場においても一方的な欲求不満の解消の相手に女性(でも誰でも)がなるべきではなく、根本的に間違っていると思う。

ついでだが

事件は海外の研究室ではなく、日本の地方の小さな会社の職場で起きているです。

「海外の研究室」と「日本の地方の小さな会社の職場」の差をつけるのも変だ。「海外の研究室」だから何なのだろう。「海外の研究室」は彼女にとってどういう状況にみえているのかわからないが、「日本の小さな会社の職場」と同じくらい、あるいはもっと閉じた場である場合もありえ、セクハラ問題の深刻さは変わらない。
っていうか、ここで「海外の研究室」をあえて出してくることからして、このエントリで梶川議員が指しているのは私のようだなあ。

そして、今回のエントリでとにかく一番愕然としたのが以下の記述。

自分が受け入れられないと他人を批判して引きずり降ろす困った人々には、*「アスペルガー障害」の人も含まれています。
(中略)
知的には遅れていないけれども、社会的コミュニケーション技術に問題がある人が情報化社会になって目立つようになりました。
発達障害の問題に私が深い関心があるのは、ごく身近にそういう人がいるからです。
30歳を過ぎた大人の発達障害は社会の中では野放しです。
(中略)
懐の深い母性的な優しい女性達は、困ったちゃん達も受け入れています。(中略)客観的に観察していて、「フェミ叩き=発達障害叩き」に見えてくるときがあります。
(中略)
保守系男性議員が毛嫌いするフェミニストは、実は、フェミニストではなく発達障害の特質に苛立っているのではないかとさえ、私は感じることがあります。
発達障害は、訓練をすれば、コミュニケーション技術が上がり、困ったちゃんから抜け出すことはできます。

発達障がいを抱える人たち、フェミニスト、両方への差別的視点が満載となってしまっている。もう絶句としかいいようがない。

エントリやつぶやきに突っ込み続けてもきりがないし、すでにtwitterで鋭い批判をされている方々がたくさんいらっしゃるのでこの程度にしておくが、いづれにせよどうせ私のことを批判するなら、私も実名(山口智美)出していることだし、堂々と私のことを名指しで、具体的に私のどの発言を指しているのかも引用しながらやっていただきたいものだ。もはやブロックされ、twitterでのコミュニケーションは不可能になったので、ブログにてお願いさせていただく次第だ。なお、このエントリは、再度梶川議員のブログにもトラバさせていただく。(おそらく反映されることはないだろうが。)

ますます内容がひどくなってきてしまった梶川議員の発言内容だが、このような考え方の議員が梶川氏のみならず、ほかにも地方議会にはおそらく多くいるだろう。梶川議員個人限定の問題とも思わない。だが、今回の議員発言(公開の場での)の人権侵害度のひどさ、ネットで炎上すべくしてした、という状況になっていることからみても、こういった対応にアドバイスを与えてくれるブレーンなり支援者なりという存在もいないのか、と思われることになおさら愕然とする。

おそらく私が梶川議員の選挙区に住んでいたとしたら、ほかに議員をつとめてきた人たちの顔ぶれをみても、私も梶川議員に投票したであろうと思う。私自身も、議会に今はどう考えても少な過ぎる女性議員を増やしたいとも思っているし、そういう運動にも関わった。そして、前回も書いたが、「セクハラをなくすための効果的対策を」という梶川議員の思い自体にはまったく同感だ。だからこそ、この一連の展開は非常に心に突き刺さるし、梶川議員という個人を超えた問題として、本当に深い痛みを感じている。