中島通子さんを偲ぶ会に出て

先週の金曜日(18日)に東京都庭園美術館にて開かれた、昨年7月に亡くなった故中島通子さんを偲ぶ会に参加してきた。全部で何人の参加者があったのかはデータをもっていないのでわからないが、かなり多くの人たちが参加されていたと思う。
弁護士として、また運動家として、個人的になど、様々な形で中島さんを知り、一緒に運動してきた方々がこれだけ一同に会すというのは、圧巻だった。
私個人的には、いろいろお世話になってきた、元行動する女たちの会の方々に再会できたのが嬉しかった。(今度こそは、こういう悲しい機会ではないときにまたお会いしたいと思う。)元会員の方々も、懐かしいお顔に会ったという方々もいて、同窓会のような側面もあったようだ。そして、中島さんの息子さんたちに初めてお目にかかることができ、シカゴでの中島さんのご活躍について話し、ようやくお礼の言葉を直接お伝えすることができた。

会の中では、中島さんがシカゴ大学にいらしたときの講演ビデオを短くまとめて上映してくださり、シカゴ大学授業でのお話をベースにした、中島さんの運動史をわかりやすくまとめたものが配布された。シカゴ大学での講演をポッドキャストという形で配信できるようにしたのは、ファンドの追加申請などが必要で若干の作業を必要としたが、やはりやっておいてよかった、、と本当に思った。そして中島さんの授業でのお話も、私が個人的に録音、録画しておいたのが、まさかこんな形で役立つとは、、。(こんなことになるなんて予想もしていなかっただけに、複雑な面もある。)そして、中島さんという方は、案外今までご自分の運動史については書かれてこなかったということもわかった。まとまった記録に残っているものとして、シカゴ大学授業でのご講演の記録がとても貴重なものになってしまったのだ。運動家というのは、運動のほうに忙しすぎて、なかなか記録に残すとか、ましてや個人史を記録するという時間がとれなかったりする中で、なんとか運動史を残していく重要性について、ますます実感する機会だった。この会を、「女たちの歴史プロジェクト」でビデオ撮影して記録として残してくださっていたのは、本当に有り難く貴重なことだったと思う。

中島さんを偲んだ様々なスピーチやパフォーマンスが、日本の女性運動の歴史をつくってきたすごい人たちによって行われる中、とくに印象に残ったのが、最初の吉武輝子さんの感情あふれたスピーチ。ハワイにいっていた中島さんからのお葉書がついて15分後に亡くなられたという電話でのお知らせがきたという。吉武さんは本当に長年、行動する会、そして戦争への道を許さない女たちの連絡会などで中島さんと運動してこられただけに、ショックも人一倍大きかったのではないか。。そして、私は初めて生で見た、土井たか子さん。政治家として一時代を築いた人のことだけはあり、お年などぜんぜん感じさせない、迫力のスピーチに、単純に圧倒されるものがあった。さすが、と思った。ほかにも、リブセンターで法律相談をしていた中島さんや、法廷闘争や労働運動に取り組んでこられた中島さんなど、様々な中島さんをめぐるストーリーが語られた。

この会には、女性学系の学者は数人はいらしていたけれど、世間的に、いわゆる「フェミニズムジェンダー論の学者」として著名な学者たちは、この場にはほとんど見当たらなかったように思う。そして、30〜40代くらいの学者層は、私だけだったかもしれない。(もちろん、都合がつかずに参加ができなかった方々もいらしたかもしれないのだが。)これだけ広範囲の運動に関わってきた中島さんだけに、ある意味、日本における女性運動と女性学の関係や、女性運動の歴史が伝わっていない問題などについて、再度考えさせられる面もあった。

中島さんが遺してくれた多くのものを、どうやって受け継ぎ、乗り越えていかれるのか、、私個人的にも、いろいろ考えていかねばならないと思う。中島さんは、私に対して、頑張って(行動する会についての)博論を本にしてね、とずっと励ましてくださっていた。頑張らないと、、。