相変わらず内部批判が存在しないことにしたいらしい日本女性学会

日本女性学会の「学会ニュース」2008年2月号が届いた。学会HPにニュースが掲載されるまでエントリ書くの待とうかなとも思ったのだが、幹事の風間孝さんが書いている「『幹事のお仕事』第五回:ホームページ担当」という記事によれば、なんと学会HPの定期的更新は年三回だというではないか。これでは、次に更新されるのは4ヶ月後の可能性もアリ?ということで、さっさと感想を書いてしまうことにした。(しかし年3回しか更新されないHPで、なぜあんなに予算がかかるのか、謎すぎる。例えば2006年8月発行のニュースレター記載の年間HP維持更新費用は、117,250円。 )後日、学会HPにニュースが掲載されたら、リンクをのせる予定。
追記(3/10/08) 学会HPにニュースレターが掲載されました。しかしながら、全部で8ページあるうちの5ページしか掲載されておらず、このエントリで言及した牟田さんの記事もウェブ版ではカットされています。


-伊田広行さんの「研究会活動報告」記事について

このブログでもとりあげた、昨年12月22日に開かれた2007年大会シンポ「バックラッシュクィアする」についての「07年大会シンポをうけておもうこと」という研究会について、発題者の一人だった伊田さんが報告記事を書いている。一見、淡々と各報告の問題提起をレポートしたかのような文章なのだが、最後のまとめとして

その後、参加者の間で、シンポのテーマや話者の決定過程、シンポ当日の話の流れ、すすめ方、フェミニズムクィアなどについて、批判的な意見も含めて、意見交換や質疑応答がなされた。


これでは、単に細々としたシンポについての事務的な過程と、「フェミニズムクィアなどについて」という妙に大きく曖昧で、具体性に欠けた事柄について「批判的な意見」出た、と解釈されてしまわないか。(まるでバックラッシャーが会場にいたみたいだ。)あの場の議論の大部分が、日本女性学会のあり方についてであり、そこに批判が集中したことはまるでなかったかのようである。そして、伊田氏ご本人はご自分の発題を以下のようにまとめているのだが、

まず伊田は「セクシュアリティに関わってのフェミニズムの課題:広義TGの旗の下に団結しよう」と題して、セクシュアリティを入れ込んだ、今後の運動と理論の方向性を提起した

あの場では、「団結しよう」の名のもとに、内部での異論、対立、批判、不一致がなかったかのように、あるいは異論は「対立を煽る見解」であるとしておさえつけようとする、伊田氏のこのスタンスそのものも議論の対象になったはずだ。だが、それはなかったかのようなまとめになっている。

そして、幹事会の報告議事録をみても、あの研究会の内容が幹事会でどのような議論になったのか、ほとんど発言をされなかったほかの女性学会幹事の方々はあの研究会議論についてどう考えられているのか、わからないままだった。

-学会の大会シンポ趣旨説明について

青森で6月に開かれるという、学会大会のシンポは、「男女共同参画格差社会」というものだという。コーディネーターは、またまたおなじみ、船橋邦子・伊田広行氏らしい。(ほかに人はいないんだろうか。)パネリストは、海妻径子氏、皆川満寿美氏、小山内世喜子氏(青森のセンターの副館長らしい)だという。

今まで「男女共同参画」および「ジェンダーフリー」死守、というスタンスだったと思われる女性学会だが、この趣旨説明からすっかり消えたのが「ジェンダーフリー」という言葉。かわりに「真の男女平等」、「男女平等の推進の拠点であるべき男女共同参画センター」といった表現が登場している。あれだけ「男女平等」は「性別二元論」に基づくからダメだ、「ジェンダーフリー」が進んだ概念なのだ、という論陣をはってきた女性学会だが、いつの間に「真の男女平等」をめざすことになったのだろうか?この「転向」に関する説明は、どこにも見当たらない。

このシンポ趣旨説明(船橋邦子氏、伊田広行氏執筆)では

1999年に男女共同参画社会基本法が制定されたのを契機に、国際的な流れにそって、全国レベルでも、各自治体レベルにおいても、男女共同参画の理念と制度改革が徐々にではあるが進んでいる。しかし、同基本法が「男女平等法」や「性差別撤廃法」ではなく、字義上「男女共同参画」の推進を主要課題とする法律であるため、日本社会の性差別が実質的に解消に向かっているか否かについては、評価が分かれるところである。


何を今頃、、という感じだ。「男女共同参画」という名前が出てきた頃から、批判は存在した。だが、それを批判しないように、批判があってもとりあげないように、、としてきた多くの女性学ジェンダー学者たちがいたことはどう考えるのだろう。

このような状況の中、女性学男女共同参画のメインストリーム化の功罪を含めて、政府や自治体の「男女共同参画政策」を、総合的かつ批判的に検証する必要があると思われる。とりわけ、「男女共同参画」が、格差社会の進行に歯止めをかけるためには、どのような政策と運動が有効かつ可能なのかについて、早急に検討することが求められる。
本シンポジウムでは、このような問題意識のもとで真の男女平等を進める上での運動と理論の課題を明確化することを目指したい。


なんだか無理に「格差社会」問題を結びつけた感が漂う文章だ。「男女共同参画」を批判しているかのようでありながら、「男女共同参画」が格差社会の進行に歯止めをかけるためには、、というつながりも変だ。結局、「男女共同参画」を批判したいのか、それともすすめたいのか、「男女共同参画」はその言葉や字面を批判しているだけなのか、それとももっと突っ込んで批判したいのか、さっぱりわからない。そして、いつもの女性学会パターンで、「女性学男女共同参画のメインストリーム化の功罪を含めて」と書きつつ、「女性学会」がとってきた立場やアプローチを批判的に考察するという方向性も見当たらない。

-牟田和恵さんの「会員の皆様へのご報告とお詫び」文

第12回幹事会の下で活動したセクシュアル・ハラスメント防止規定策定ワーキンググループの活動について、とりまとめ役だった牟田氏がメンバーの一人からでていた批判とそれに対しての事後交渉について書いた文章らしいのだが、はっきりいってこの文章を読んでもわけがわからない。私はこの批判(たしか院生の労働力の搾取といった問題だったと記憶している)が出た鳥取での学会シンポも見に行っていたのだが、それでもわけがわからない。

ワーキンググループや学会、幹事会への「お詫び」という体裁をとっているらしいこの文章だが、「批判をなさった方のご協力を得ることができず実を結びませんでした」「ご批判は誤解に基づくものでありあたっていないと考えますものの」といったフレーズを見ると、「こちらとしてはやるべきことはやったのに、誤解に基づくいわれなき批判をしたメンバーが協力をしなかったのだ、だから女性学会(および私)は悪くなくて、批判をした側が悪いのだ」といっているのかなーというように思えてしまう。あのシンポ以降、背景で何が具体的にあったのか、単なる一会員である私には知る由もないが、よく知らない一会員の立場から読めば、この文は釈明の意味で書かれた文章っぽいけれど、かえって逆効果なのでは?と思えてしまうのだ。

ある意味、妙に「読み甲斐」がある学会ニュースであった。しかし、何か同じことが繰り返され続けている気もするな。