団体ブログの難しさとネットへの無理解

実はあの会のブログを立ち上げたのは私だ。(今はそれをすごく後悔している。)もともとは、裁判情報についてニュース的に流す媒体だと想定していた。HPは保存の必要な書類を置いておく場で、変化していく動的な裁判情報などはブログがいいかと思ったのだった。2004年の年末だったが、ブログがかなり広がり始めた頃のことである。

立ち上げたときには、集団更新を想定しており、関西方面の支援者がブログの使い方をおぼえ、更新するようになるという前提だった。そのために、機能が少ないながらも、使い方説明などがわかりやすく書いてあり、初心者にも使いやすいと思われたエキサイトを選んだのだった。私はエキサイトと私の個人名を使って契約し、ブログを立ち上げたが、その後の更新作業にはほとんど関わっていない。やったことはといえば、ほんの初期に、リンクがうまくいっていないのを直したり、ほかにちょっとした設定をしたり、画像をアップロードするといったことである。

複数管理人体制を想定していたため、複数の管理人をおき、それぞれの投稿に対して署名がつくようなレンタルブログを探してみた。会発足以前の話だったので、会がその後どういう形に発展していくかも未知数だったので、できるだけ無料という条件で探した。これがなかなか難しかった。そして、操作が複雑だとネットが苦手な世話人が更新できないという問題もあった。そういうわけで、簡単だという理由でエキサイトにしたのだが、後から考えてみれば、これも失敗のもと。きちんと誰が投稿したかわかるような、少なくとも少しは責任感をもてるような、複数IDを使えるブログにすべきだったのだ。

ブログにはいるパスワード情報は、更新者だった原告はもちろん、私のほかにも数人の「ブログチーム」の人たちは知ってはいた。とはいえ、原告の指示がない限りは、勝手にブログを編集したり、記事を更新したりなど、手出しをすることができない不文律のようなものができあがっていた。結局関西の世話人も、更新は手伝う程度で、内容的な更新を担当することはなく、原告が更新し続けていくことになった。
時々、あまりにマズい内容の投稿があると、私は更新者である原告に指摘の個人メールを送ったりしていた。注意の内容としては、写真などの著作権侵害の問題(新聞社などのサイトに掲載されていた有料のイメージをそのままもってきて掲載してしまうなど)、そして人格批判や誹謗中傷など、内容的にまずい、ひどいと思われるものである。著作権に関しては、単に更新者が知らないということで注意すればそれで終わる話だったが、投稿の内容が絡んでくるものになると、私が更新者に指摘したところで、なかなか修正が難しいところがあった。というのは、すでにMLや個メールから投稿をとってくる段階で、更新者側が確認をとり、修正までして許可をとった上で掲載しているのだ。それを今更また内容に問題があるので修正とは、、となるのではないかと、更新者側も修正はできるだけ避けたいとしているところがあったし、本来はエントリごと削除すべきような内容のものであっても、適当な修正ですませるに終わってしまったエントリもあった。

そして、何度「こういう内容は不適切」といっても、また同じようなことを繰り返される。さすがに何度も何度も同じような注意メールをし続けて(他人に注意するというメールは、あまり楽しいものでもないし、こちらもストレスがたまる)疲れがたまって、個人的に多忙になっていたのもあり、放置モードにはいってしまった頃に、桂さんバッシングが発生した。

ネットというものへの理解の欠落も大きかった。ブログなど、ネットに何かを掲載するということは、そのデータが残るということであり、「削除すれば全部なくなる」わけではないのだが、「同じことを繰り返して、マズい内容のエントリをアップし続ける」ことへの危機感がまったくなかったといってもよい。
ミニコミなどだとまだ複数人のチェックがはいるが、集団更新という見せかけにもかかわらず、ファイトバックの会のブログは実質上原告がひとりで最終判断を行うようなことになっていた。(これは、ブログのみならず会のニュースレターについても同様である。)

ほかの人に更新を担当するよう体制を変更すべきともいってみたが、現実化しない。かといって、遠方在住で裁判や世話人会に出席できない私が更新を担当できるわけでもない。
結局、原告以外、誰も内容的な更新を実質上担当する人はでてこなかった。そして、原告も更新者の座を渡したくないのではないか、原告にとって、匿名ブログ更新がストレス解消の場になってしまっていたのではないかと思われるふしもあった。ブログを原告から誰も取り上げられなくなってしまった状態になっていったように思う。

そして、更新者である原告を含め、多くの世話人たちは、ブログの読者が何人くらいいるのか、どんな層なのか、そして読者に自分たちのブログがどのような効果を与えているのかについて、ほとんど気にしていないようだった。会のブログやHPへのアクセス数を知っている人も少ないし、興味もなさそうだった。ブログを一方的に更新し、情報を流すばかりで、インタラクティブなメディアという理解が欠けていた。ブログをたちあげた時にコメント欄はつくらなかったが、トラックバックは残してあった。(正直いえば、立ち上げたときに消し忘れて放置していた、というのが正しいのだが。)だが、トラックバックがどのサイトから来ているかすら、気にしている様子はなかった(会のブログへのトラバは、エロ系スパムサイトか、特定個人のブログからばかりだった)。おそらく「トラックバック」というシステムが何なのかを理解している人たち自体が世話人の中に少なかったのだと思う。そして、会のブログから他のサイトへトラックバックを発信したこともなかっただろう。

要するに、自分たちのブログは孤立したメディアのように扱われ、自分たちのブログ以外のブログ世界において何が起きているのか、気にもしていなかったように思われる。そして、「読者も自分たちの主張に共感するはずだ、するべきだ、私たちは正しいことをしているのだ」という思い込みがあり、他者の視線に著しく鈍感なブログ空間をつくっていってしまったように思う。

世話人でさえ、ブログを常にみている人はそう多くはなかったようだ。世話人会の場で、ブログを全然みていないという世話人が「あのブログは情報の宝庫だから」といっていた。あのブログのどこが、、?と疑問だったが、見ていない人に限って、そのように思い込み、桂さんに関する問題エントリの削除や、ブログの閉鎖に反対するという妙な状況もあった。実際、8月下旬の世話人会会議の時点に至っても、桂さんへの誹謗中傷記事の内容をも把握してないような状態の世話人たちもいたというお粗末な事態だったのだ。

もう一点書き記しておきたいのは、弁護団についてだ。弁護団はこの状況をまったくフォローしていなかった(少なくとも自分たちの側から何らかの問題点の指摘をするとか、アクションを起こすということは全くなかった)。三井裁判の弁護団は、マスコミ報道についてひじょうに気にしているようなのだが、マスコミ報道をそれだけ気にするのであれば、支援者団体がインターネットでどのような発信をしており、それがどのように捉えられているかも同じくらい−あるいはもしかしたらそれ以上に−重要なのではないか。多くのマスコミ関係者が、おそらく会や裁判のことを知りたい場合、ネットで検索するだろうし、会のサイトだってブログだって見ることだろう。そこの部分を全く気にせずに、マスコミ報道を気にするというのは本末転倒であるとも思う。弁護士たちが多忙であることもわかるが、今の時代の裁判、ネットをどのように使って自分たちの主張をどのように発信していくのかも、重要なのではないか。しかも、いまやこれだけの人権侵害問題をおこし、ネットで話題になってしまっているのだからなおさらである。また、原告によれば、弁護団は今回の件について静観しろというアドバイスをしたそうだが、的外れだったのではと思わざるを得ない。むしろ、自らの人格権を侵害されたとして裁判を闘っている原告こそが、率先して人権侵害問題を解決する姿勢を見せるべきではなかったのだろうか。謝罪チームはそういうリーダーシップを原告に期待した。が、結局ダメだった。

また長くなってしまったぞ。。ここで一度また切って、次回は会のブログを閉鎖するに至った経緯と、その理由、および新しいブログ(fightback2.exblog.jp)事件についても書こうと思う。