「リブ再考」運動を再考する

「リブ運動を再考する」という流れがある。私自身もこれには深くかかわってきた。そして、『女性学年報』29号掲載の、渋谷晴子さんによる「『第三世代』フェミニストとリブとの距離とは何か」という論文によれば、私はこの「第三世代」フェミニストの一人として紹介されている。渋谷さんは以下ように述べている。

2000年以降の「リブ再考」の動きが、「若い世代」のフェミニストによる、リブ運動への共感と支持から生み出されている点が興味深い。しかし、(略)「若い世代」のフェミニストにとってリブとは共感を覚える対照であると同時に、ある種の距離感を感じる対象でもあるようだ。

しかし、思い起こしてみれば、今の女性学の「大御所」である、井上輝子さん、江原由美子さん、上野千鶴子さんらは、70年代終わりから80年代にかけて、日本のリブ運動の功績を再評価した人たちでもあった。彼女たちは「リブ世代」ではあり、井上さんのようにリブ運動に関わったというアイデンティティをもつ者もいたが、「遅れてきたリブ/フェミニスト」的な立ち位置をとる人たちもいた。その後、90年代にはいり、『資料日本ウーマンリブ史』や「全共闘からリブへ』の出版、秋山洋子さんの『リブ私史ノート』などの個人史の執筆、そして、栗原奈名子さんの映画『ルッキングフォーフミコ』などがつくられていく。そして、渋谷さんの指摘する2000年代にはいり、「リブ再考」の動きがまた活発化し、『30年のシスターフッド』の映画、およびその各地での上映運動なども行われた。私が企画したこの映画のアメリカツアーも、その動きの一つである。昨年には、リブ新宿センター資料集成が出版され、再度「リブを振り返る」趣旨の集会が開かれたりもした。

要するに、歴史を振り返ってみると、いわば、「リブ再評価」運動、といったものが、80年代以降、数年おきに起きているような状況だといえる。これは、いわゆる「リブ世代」で実際に運動にかかわった人たち自身による振り返りの場合もあれば(日本資料ウーマンリブ史、リブセンター資料集)、同時代を生きたが「後からきたリブ」なり「フェミニスト」なりを自認する人たちによる企画の場合もある(例えば、『30年のシスターフッド』監督のひとり、山上千恵子さんは「後から来たリブ」的立場をとっていたと思う。)そして、渋谷論文で言及されているような、世代的に下の「後からきた世代」も含まれている。渋谷さんのいう、2000年代になって「リブ再考」傾向がはじまった、という解釈は私はちょっと違うのではないかと思うのだ。(渋谷論文については、別エントリでもう少し扱ってみたい。)

私自身が、「若い世代」といえるかはげしく怪しい、、というか、世間的には言えないと思うのだけれど、このフェミニズム業界というところはいつまでたっても「若い人」扱いという不思議なところでもあり、リブ世代からしてみれば確かに「若い世代」になるんだろう。その私は、たしかにこの「リブ再考運動」にどっぷり関わってきた。博論で扱った「行動する女たちの会」もリブの流れをくむ運動だし、私も編集委員会の一員だった『行動する女たちが拓いた道』の本は、行動する会の運動を、リブの流れに再度位置づけ直す、という意味合いがあるものだった。そして、『30年のシスターフッド』英語版作成に、アメリカツアーの企画、実行。その他にも、リブ温泉合宿にいってみたり、集会にいってみたりと、リブ関連企画にはできる限りいくようにしてきた。リブの人たちにも、インタビューもしてきた。この背景には、単純に、知らなかったから知りたい、という思いがあったのだと思う。「なぜ自分がこの歴史をまったく知らなかったのか」は衝撃だったし、「知りたい」そして、知った事を「伝えたい」という思いもあった。

だが、今になってちょっと考えてしまうのだ。この「リブ再考」運動により、どんな議論がつみあげられてきたのだろうか。何だか、数年おきに繰り返し「再考」運動がおきるが、「リブはすごかった、ラディカルだった、後の世代も学ぶべきだ」という以上の、何か今後につながるような積み上げはあったのだろうか。
そして、この数年おきに復活して繰り返されているようにみえる「リブ再考運動」の結果、リブをポジティブに再評価することにばかり力点が置かれ、批判できない、してはいけないものと化してしまったことはないか?とくに、「リブ」はあくまでも、いわゆる「若い世代」にとって、「学ぶ対象」「あこがれの対象」であることが求められ、必要な場合には批判し、乗り越えていくということができていないのではないか。

もちろんリブ運動のプラス面は評価されるべきだろうし、とくに今まで批判されることのほうが多く、評価されてこなかった運動を再評価することの重要性はある。私自身が、「リブ再考」に関わってきたのも、リブの歴史を理解し、知られてない面は伝え、しっかり評価し、現在につなげたかったからだ。しかし、リブを乗り越え、現在につなげるためにどうしても必要になる、リブのマイナス面の批判、という作業はできてきたのだろうか?自分自身を振り返ってみても、できてこなかったような気がしている。リブになると、どうも表立っての批判を遠慮するようなモードが働いてしまう気がするのだ。また、時々、運動に関わっている「若い世代」の人たちからのリブへの疑問の声など、ちらほら聞こえてきたりもするのだが、それらの声は表に出づらい、出しづらい状況のような気もする。

今回のファイトバックの会をめぐる問題、および議論をへて、こういったことをより考えさせられるようになってきた。もちろん、ファイトバックの会はリブの代表では当然ないわけだが、その中心的メンバーには「リブ」の流れをくんでいると自認している人たちも多いようだ。そして、「これがリブのやり方だ」的なことを、運動をするなかで「教え諭される」ように言われてみたりとか、「若い人たちを育てるのだ」とか言われてみたりとかいうことがあった。対等に運動仲間として扱われているというより、何か「リブのやり方を知っている私たちが上」であり、彼女たちが編み出した「リブのやり方」というもののは異論をはさむべきではないものであり、それを「若い人たちに教え授ける」という立場と自認している人がけっこういるのかと思えてしまったのだった(しかし、事務作業などにおいては、「若い人」はバリバリに使われるわけだが。)

今後、90年代以降の「リブ再考運動」について考えた事、思った事を機会をみつけて、少しずつ書いてみたいなと思っている。振り返ってみれば、『30年のシスターフッド』や、そのアメリカツアーについても、今まで宣伝はすれど、考察は書いてこなかったのだった。「リブ再考運動」を数年おきに繰り返すばかりでは、進歩がない。正当な評価はもちろん必要であり、新しい側面からの「評価」を積み重ねて行くことも重要だろうが、それと同時に、リブの建設的な批判も必要なのではないか。それこそが欠落していたのではないだろうかという気がしている。