「フェミニズムとインターネット問題を考える」研究会終了

昨日、「フェミニズムとインターネット問題を考える」研究会が大阪で行われた。詳細な報告は後に(このブログ上ではないかもしれないが)アップすることになると思うが、とりあえず感想などいくつか。

今回の公開での研究会は、今まで非公開で5回ほどつみあげてきた研究会活動の集大成的な位置づけで、そのなかで、ファイトバックの会の運動と、そのネット利用に関して、ネット上での誹謗中傷問題を起こしてしまった反省に基づき、詳細に検証をし、議論をするということを行ってきた。同じ間違いを再びおかしたくない、そして、この教訓をなんとか今後のフェミニズムおよび市民運動のなかで生かしていきたいという思いからである。

研究会活動に関わってきた、ファイトバックの会と多様な、しかし何らかの関わりをもって会員として活動してきたメンバーによる、ひとり10分ほどのプレゼンを行い、最後に若干、いわゆる「謝罪問題」に関して説明し、その後ゲストの方お二人によるご感想、ご意見と、会場との質疑応答、討論といったプログラムだった。あまりに盛りだくさんな内容だったので、議論の消化不良感は残ってしまった面は否めないが、それでもこれだけ細かくネット利用のひとつの事例をみたケースは初めてだったのではないかと思うしそういった意味でも意義は深いものがあったと思う。これをきっかけに、フェミニズム運動とネットに関する議論が発展していけばいいな。

いくつか会場の質問やご意見を得たなかで、答えなくてはと思いつつ、私が個人的に時間不足でしっかり答えられなかったりした事について、忘れる前に記載しておく。

  • ブログは公開だが、MLは私信なのに、その二つを混同しているのではないかというご意見に対して。これは会場でもいったけれど、「MLを私信」ととらえていいのか、という問題があると思う。ファイトバックの会の場合、ML投稿からピックアップされてブログに掲載されることがよくあった、という面では特殊例ともいえ、MLとブログと両方を比較検討しないと見えてこないものがたくさんあるという面はあった。(でも昨日は、研究会メンバー全員が、公開のネットという場に掲載さえていたブログ投稿は全文引用しても、MLに関してはしておらず、特色を指摘したにとどめている。)それに加えて、たとえばファイトバックの会のMLの場合、300人がはいっていたという媒体だった。300人に瞬時に1クリックで情報が送れてしまうものを、「私信」であると理解することはナイーブすぎるのではないかと思う。そして、MLというのは、どんなに転送しないでくださいと管理者がいったところで、転送されることをコントロールしきれるものでもない。そういったリスク面もしっかり理解した上で使うべきものでもあるのではないか。ファイトバックの会の場合、MLが内輪の「井戸端会議」化してしまい、実は300人媒体であり、公共の性格をもつものだということを忘れてしまったことも、ML上で問題が生じたひとつの原因だろうという指摘が数人から出たと思うが、MLというものの特色、および限界をよく理解することも運動をすすめる上で、重要だと思う。(これはファイトバックMLに限った問題でもなく、フェミニズム系、および市民運動系ML一般に関してもある問題だろうし、たとえば最近閉じることになったAMLをめぐる問題などとも関連づけられるかもしれない。)
  • 「労働力の搾取」という概念を私が使ったことに関して。賃金を払われている人に対して「搾取」というような言い方をするのはどうか、といったご意見がでた。女性運動において、どうしても、「ITが強い」とされる人、あるいは「若い人」などという位置づけの人が単純労働力として使われまくり、疲れ果ててやめていく、といったパターンが目立つという指摘があったことに対して、たとえばウェブ担当者が賃金を支払われている場合、それを「搾取」とよべるのか、といった疑問が会場から提示された。だが、「賃金を払っていれば搾取ではない」という考えは無理があるだろう。ウェブ担当者が、たとえば大学常勤教員なみの給与および福利厚生などを受け取っているならまだいいかもしれない。しかし、おそらくそうではないケースが多いのだろうし(とくにフェミニズム系団体でウェブ関連の作業を担う人たちの場合)、ウェブがからむ仕事というのは、24時間体制である。労働としても、ひじょうに厳しい状況になりうるものだし、その負担が特定の個人および数名の人たちばかりにいき、馬車馬のように作業をさせられ、しまいには疲れ果てるような状況というのは、立派な労働力の搾取といえるだろう。「賃金払っているから搾取ではない」っていう論理展開自体、おかしいと思う。(蟹工船だってちょっとの賃金は払われていたわけだし。)
  • 「自称IT弱者」たちがいつまでたってもそのポジションから抜けようとしてくれない、という問題に関して。「IT弱者」といってもいろいろいるのだから、、という声もあったが、もちろんスキルレベル的にはいろいろいるだろう。当たり前だ。ただ、私がいいたかったのは、「私はIT弱者です」と、リソースも何もかももっている人たちが言ってしまう/言えてしまうことの権力性、というものはあると思うし、私が指摘したいのは、やろうと思えば資金的にも環境的にも可能な状況なのに、やろうとしない人たち、あるいは堂々と「弱者です」と発言することで、やったことに対して責任をとらないとか、仕事がほかの人にまわされていく状況をつくるとか、そういった問題だ。(そもそもリソースや資金などがないなどの理由の、本当の意味での「IT弱者」のことをさしているわけではない。)私自身だって、IT強者とまで豪語できるほど、ウェブやコンピューターに強いわけでもないけれど、すくなくとも「弱者です」と開き直って堂々とし続けていることの権力性の問題は常に念頭においておきたいし、自分自身も「弱者」と開き直りそのステータスに甘んじず、少なくともそれを豪語することで開き直ることはなく、常に少しずつでも向上するように努力はしていきたいと思う。そのことが、よけいな負担をほかの人たちにかけない方向にもなるわけだから。
  • 研究会の本題とは外れるが、いわゆるファイトバックの会の謝罪問題に関して、会の方が「謝罪」と「お詫び」の違い、とかいうことにやたらこだわった発言をしておられた。(その方曰く、ファイトバックの会は「お詫び」はしたが、「謝罪」はしていないのだそうだ。)はっきりいってどうでもよい、としかいいようがない。こういう瑣末なことでこだわっているから、本質的な問題を見失うんだと思う。問われているのは、そんな枝葉末節な言葉の問題ではなく、もっと根本的な、会の人権問題に関する対応およびスタンスだろうに。

とりあえずこのあたりをメモっておく。