WANの「質問の意図と背景」文書について

なんだか、WANってカテゴリーをつくったほうがいいのではないかという最近の当ブログの状態だが、新たに「質問の意図と背景」という文書がアップされていたので、当ブログで注目(?)してきた、最後の性的少数派に関する質問と、「ジェンダー」に関する質問について一言だけコメント。(なんかWAN質問状ネタ、しつこくなってきたと自分でも思うが、あまりのことだったのでやっぱりエントリ化する。)

まず、性的少数者(WAN的には「性的少数派」というらしい。「派」にそこはかとない違和感。)に関する質問に関して。質問自体と、とくに選択肢のてきとーさからも、やる気のなさが感じられた質問だった。そして、最近アップされた自民党からの回答は、「3.その他、何かございましたらお願いします。」に丸がされているが、「その他何かございましたら」に関する記載がない、というものだった。回答を書くのを忘れてしまったのかあえて書かなかったのかわからないが、空白のままになっている。だが、WANのほうからは、後述する自民党の「ジェンダー」質問の答えに注目するような説明はMLなどでなされているものの、この設問の空白について注目している様子はみられない。

そして、この設問に関する「質問の意図と背景」文書に書いてある説明文もすごかった。

(3-6) 現在、OECD加盟国やEU諸国においては、いわゆるLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちの権利をめぐる動きが、政府だけでなく地方自治体レベルでも大きく動き始めています。

えっ、これだけ?「いわゆるLGBTの人たちの権利をめぐる動き」って具体的に何なの?で、日本ではどうなっているの?なんか外国でしかLGBTの人たちの権利をめぐる動き(って内容が何だか書いてないからわからないけど)がないかのような記載である。ほかの解説にくらべ、あまりの具体性のなさもすごい。LGBTをめぐる運動と、WANがいかに「切れているか」が露呈されているようでもある。やる気のなさ炸裂、という印象である。あまりのひどさに愕然とした。


次に「ジェンダー」に関する設問。選択肢が「1.「ジェンダー」排除は正しいので支持する。」か2.「「ジェンダー」排除は言論弾圧なので取り締まる。」しかなくて、どちらも答えようがないという苦しい質問である。自民党だけはしっかり1を選んできたようだが、案の定ほかの政党はすべて、欄もないのに3として、排除は指示しないが、取り締まるというスタンスとは違う、と書いてきた設問だ。

WANによる解説はこのようなものだ。

(3-2)「ジェンダー」とは「社会的・文化的性(性別・性差)」を意味する学術用語です。生物学的カテゴリーとしての「セックス」と区別するために、1970年代から世界の学界で広く採用され定着してきました。歴史学における「男性は仕事、女性は家庭」という役割分担の歴史的形成過程の解明、経済学における労働市場での男女格差の分析、医学における性差医療の提唱など、ほんの一部を挙げても「ジェンダーに敏感な視点(ジェンダー視点)」をもつことがさまざまな学問分野においてもつ有効性は明らかです。(日本学術会議学術とジェンダー委員会対外報告「提言:ジェンダー視点が拓く学術と社会の未来」http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-t29.pdf)
 しかしこの「ジェンダー」という概念を曲解し、学校での男女同室着替え(実は更衣室の不備などによるもので「ジェンダー」という言葉が登場する以前の1960年代にも行われていた)は「ジェンダーフリー」教育の悪しき影響などとする誤解と矮小化に基づく批判が起こり(http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/2009_nominsyu.pdf にもジェンダーフリー教育批判が見られる)、公共図書館からのジェンダー関連図書の排除(福井県生活学習館焚書坑儒事件)や、行政文書や教科書から「ジェンダー」という用語を抹消しようという動きがありました。
 これは、男女平等という価値への挑戦であるばかりでなく、憲法に保障された「表現の自由」「言論の自由」の抑圧という重大な問題です。たとえば「社会主義」「民族差別」といった用語に対して同じ動きが起きたら、と想像してみましょう。思想統制言論弾圧のまかりとおった戦争中のような社会にしないために、断固とした態度が必要です。

性的少数者に関する質問よりやたら細かい解説がついているが、注目すべきは、最後の「思想統制言論弾圧のまかりとおった戦争中のような社会にしないために、断固とした態度が必要です。」というところか。「断固とした態度が必要です」っていうのは、もしかしたら選択肢の「取り締まる」につながるのか、と思ってしまう。あえて解説文をアップするからには、この、どちらも選びようがない選択肢に関する解説があるのかと思ったが、まったくなかったし、そもそも選択肢が二つしか用意されておらず、1を選んだ自民党への批判を噴出させているところをみると(まあ1を選ぶことへの批判自体は当然ではあるのだが)、「取り締まる」が望ましい答えだったということになるのだろう。

(自民をのぞく)すべての主要政党がおかしさを指摘しているにもかかわらず、フェミニズムがこういう、どう考えても公権力を想起させる「取り締まり」などという言葉を安易に使ってしまうということこそに、私は大きな危機感をおぼえる。