「支援運動」のジレンマとフェミニズム

先日公開した「フェミニズムとインターネット問題を考える」サイト内容に関して、いろいろ考えていることの続き。

サイト制作に参加した人たちによる「個人的反省点」で浮かび上がったテーマの一つは、支援運動とは何か、どう「支援」すべきなのか、という点だったと思う。ファイトバックの会は、裁判支援団体であり、原告の闘いを支援する、というのが大きな運動の目的だった。だが、その場合の「支援」とは何を意味するのか。フェミニズム運動においては、ファイトバックの会のような労働裁判のみならず、性暴力やセクハラ裁判の原告支援運動もあるし、またDVや性暴力、セクハラなどの被害にあった人たちの支援をするという運動もある。そこでは、「原告や被害者の立場にたちきること」「原告の意思を尊重すること」が重要であるという価値観がある。確かにそれはひじょうに重要だ。フェミニズム運動の根幹をなす価値観の一つであるともいえるのかと思う。

だが、「100%」、いかなる場合にでも立ちきるべきなのかどうか。これを問われたのがファイトバックの会のケースだったように思う。謝罪をすすめようと動いた、今回当サイトを共同でつくった人たちの場合、フェミニズムにおけるさまざまな「支援」の運動ー例えば裁判支援や、性暴力被害者を支援する運動、女性候補の立候補や選挙を支援する運動などーに関わってきた人たちでもあり、「支援というものはどうあるべきか」についてつきつけられたのだと思う。これは、「原告の意思と支援者の信念がズレた場合どうすべきなのか、という問題でもある。しかも、ファイトバックの会の事例の場合、このズレは瑣末な問題ではなく、第三者の人権を侵害してしまったという、ひじょうに重要な問題に関係した。

きろろさんは以下のように述べる。

Bさんの誹謗中傷投稿について見逃してしまったのはこういった背景と、世話人会、ML、交流会を通じて形成されていたこの裁判は原告を支援する裁判で、原告の立場に100パーセント立ちきること=被告の誹謗中傷はしてもよい=被害者支援というものであるという考えが私にもあったため、誹謗中傷投稿がなされても流している状態であった。

また、宮下奈津子さんも以下のように言う。

・被告側の書面に私が触れたのは、第1審の最終準備書面だった。ワード化する作業のために初めて見たのだが、これをもっと早い段階から見ていれば、もう少し違うことができたかもしれないと思う。原告が世話人にもこれを公開しないことの意図はわかっていたので、無理に公開は求めなかったが、やはり支援運動には必要なことだったと思う。原告の意思は尊重しなければという思いこみが私にも強くあり、それが運動を広げることを妨げていたと思う。

きろろさんも宮下さんも、「原告の立場にたちきる」「原告の意思を尊重」という価値観と、会が起こした誹謗中傷にどう対処するかとの間で葛藤があったということだと思う。私自身も、原告がブログを更新していたという事実を、これを表に出さなくては本当にどうしようもないと思う段階まで出さなかったことには、こういった価値観が影響していたのだと思う。裁判支援の運動をしているのだから、とにかく「原告の意思を尊重」「原告を守る」ことを優先せねば、という思いがあった。

また、遠山日出也さんも、原告への敬意や気づかいが重要であることは述べつつ、行き過ぎると逆効果になりうると主張している。

12.私のMLでの言葉づかいを振り返ってみると、原告に対して気の使いすぎ、敬語の使いすぎ、へりくだりすぎている部分が若干あることに気が付いた。今読むと、原告を批判しにくい雰囲気を少し作っている感じがある。困難が多い裁判を進めておられる原告への敬意や気遣いは重要だが、それが行き過ぎると逆効果になることもあるというのが今回の教訓である。

会の中で謝罪問題でもめて、まだ謝罪反対派の人たちとメール議論や交換ができていた頃(その後、それすらできない状況になってしまったが)、ある世話人の方から「私は原告の意思は何でも尊重し、言うこと、やりたいことは何でも支持する決意」といった趣旨のことを言われたことがある。私はこれは違うと思った。原告に対して、何か疑問があったり、間違っていると思ったら、それを言っていくのが運動でもあり、原告が言うことを何でも尊重し、何でもそれに従うというのは、(少なくとも私が思う)フェミニズム運動のあり方とは違うのではないかと。

遠山さんは以下のように述べる。

また、私は、誹謗中傷に対して疑問は感じても、「原告だから(or地元の方々だから)、私などより、いろいろよく知っているのだろう」とか、「70年代からリブ運動をして来られた鍛えられた方だから、そういう見方が正しいのかな?」と思って、十分主体的な判断ができなかったこともあった。謙虚さは必要だが、少なくともわからない点はきちんと質問するべきだった。もし、質問していて、それに対するきちんとした返答がなければ、自分も、他の会員も、疑問を強めることができていただろう。

前日のエントリにも共通するが、「「原告だから(or地元の方々だから)、私などより、いろいろよく知っているのだろう」とか、「70年代からリブ運動をして来られた鍛えられた方だから、そういう見方が正しいのかな?」と思ってしまい、質問すらしづらくなってしまう雰囲気というのは、どうにもまずい。私自身も遠山さん同様、遠方在住だし、大阪のことはよくわかってないし、弁護団会議にも世話人会にも出ていないし、、などと理由をつけて、疑問があっても提示しなかった場合もたくさんあった。それでもやはり、きちんと質問すべきだったし、おかしいと思えば疑問も提示し続けるべきだった。少なくともML上は世話人会の一員だった、MLの管理もしていた私がそういったことを積極的にやっていたら、他の会員ももっと疑問を提示しやすい雰囲気につながったかもしれない。

フェミニズム運動のあり方、とくに「支援運動」というもののあり方について考え直させられた機会でもあったのだと、今、(まだ工事中箇所は残っているが)ほぼ完成したサイトを読み直して思う。