*[男女共同参画] 危惧される「婚学」のゆくえ―安倍政権下の男女共同参画との親和性

今年の1月15日に発行された、メルマガ“α-Synodos" vol.140「結婚ってなんだろう」特集号に掲載された表題の文章、メルマガ発行後数ヶ月たってそろそろいいのではということで、ブログに掲載することにしました。「婚学」に加え、「親学」についても扱っている文章です。


危惧される「婚学」のゆくえ―安倍政権下の男女共同参画との親和性

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「ステキな大人」になるために恋愛、結婚、家庭は必要不可欠!?
九州大学の授業として行われている「婚学」。その問題点を鋭く分析する。

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◇はじめに

「婚学」とは、九州大学の1年生対象の「少人数セミナー」として開講されている授業である。「結婚、恋愛、出産、子育てにフォーカスし、日本ではじめての『婚学』授業」と銘打たれ、商標登録されている。*1 2012年4月から開講されており、当初の20人の定員に100人の履修希望者が殺到するという人気授業だという。担当教員は九州大学大学院の助教で、農学を専門とする佐藤剛史氏。食育に関する一般向けの著書を多く出版し、講演やマスコミ出演も多数だという。だが、経歴を見る限り、ジェンダー論、フェミニズム、家族社会学文化人類学など、「結婚」に関して研究する際に通常必要とされる分野の背景は全くない。

この「婚学」が昨年11月、NHKで放送された「加速する“未婚社会”どう備える」という特集で扱われた。*2 それをきっかけに、九州大学シラバスの記載や、佐藤氏のブログ、Facebookなどに書かれた「婚学」の授業内容に関して、Twitterなどで批判が殺到し、Togetterでも複数のまとめが作られるなど、「炎上」した。Twitter等では、2012年の講座開始以降、「婚学」がメディア報道されるたびに、批判は出ていたようだが、昨年11月以降の反響はとくに大きなものだった。

私は一昨年10月、斉藤正美、荻上チキの2人の共著者とともに、『社会運動の戸惑い―フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房)という本を出版した。2000年代前半の「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」をめぐる、フェミニズム保守系フェミニズム運動の係争についてまとめたものだった。この本の中で抱き続けたのが、「男女共同参画とは何なのか、誰のための、何のためのものなのか」という問いだったように思う。

『社会運動の戸惑い』のための調査は、2011年段階でほぼ終えていた。そして、2012年の年末に、民主党政権は崩れ、安倍晋三氏の首相返り咲きが起きた。2000年代前半の「バックラッシュ」の動きを先導した1人であった、安倍氏が首相の座についたことで、「男女共同参画」をめぐる状況も当然ながら、相当に変化が起きることにもなった。

本稿では、九州大学の「婚学」の問題をまず議論した後、「婚学」と「男女共同参画」と「少子化対策」の関連について検討する。さらに、安倍政権において、おそらく首相肝いりで「男女共同参画会議」のメンバーになったであろう、高橋史朗明星大学教授が中心となっている「親学」と「婚学」との類似性、及び安倍政権下の「男女共同参画」の方向性との親和性の高さについて述べていきたい。

なお、本稿では九州大学の「婚学」を特に取り上げるが、これ以外にも、「恋愛、結婚、異性とのコミュニケーションについて」学ぶという明治大学での心理学者諸富祥彦氏による「婚育」(講座名は「こころの科学」)、早稲田大学政治学者森川友義氏による「恋愛学」など類似の講座が他大学にも存在する。どの授業も、学生のコミュニケーション能力の欠落により恋愛や結婚につながらないという認識、「結婚のすばらしさ」を説くという姿勢などは、共通したものとなっている。どれも人気講座としてマスコミで注目を集めており、同様の講座が他大学等にも開講されている可能性もある中で、本稿における指摘は九州大学の「婚学」に限定された問題ではなく、より広がりをもつであろうことを記しておきたい。

◇「婚学」とは?

「婚学」はどのような内容の授業なのだろうか? ネット上で公開されている九州大学シラバス上の、2013年前期分の授業の概要の記述を見てみよう。授業概要では、日本では少子化が進んでいるという統計を挙げつつ、出生率の低下を「晩婚化と未婚化の進展によるもの」と位置づけ、「離婚率、できちゃった婚率も高まっている」とした上で、以下のような記述が続く。

これからの未来を担う若者には
ステキな恋愛をし、
ステキな結婚をし、
ステキな家庭を作るための力が
求められている。
婚活しなくてもいいような
ステキな大人になるための
婚学が必要になっている。

大学では教えてくれない大学生にとって必要なこと、
大学生のうちにしておくべきこと、
大学生にしかできないことを一緒に考えます。


佐藤氏は、「ステキな大人」は、ステキな恋愛、結婚をし、家庭をつくる力が必要だという。婚活を必死にしている人たちは「ステキではない」ということらしく、そうならないがための「婚学」と位置づけられている。佐藤氏は出会いの場としての婚活パーティーよりも、「価値観や具体的な生活のイメージをシェアできる「婚学」の効果が高いのだと強調する。(婚学普及協会Facebookページ2013年11月18日)結婚は学生時代から、周到な準備のもとに、ライフプランをたてた上で行うべきことだと考えているようだ。

11月に「婚学」がネット上で注目された際、もっとも注目を浴び、炎上した佐藤氏のブログ記事が、婚学の授業の初日の展開について紹介した「残酷な婚学」という記事だった。

この記事によれば、「婚学」の授業は、男女の人数が半々ではなく、10人男子学生が多いのだという。この、必ず彼らが余るという状況において、男女ペアをつくるというワークを学生たちに行わせる。そしてペアができなかった人に感想を言わせ、「社会は残酷」だと感じさせ、「恥ずかしいし、みじめで、死にたくなる思い」をさせる。そうすることで、恥ずかしさを超え、積極的になり、異性にペアになるべく声をかけることもできるようになる。それこそが成長なのだと佐藤氏は主張する。

これが、学生へのハラスメントではないかという批判を浴びた。そもそも必ず余る男子学生がでる状況にもかかわらず、男女ペアを作れなかったら「みじめ」という位置づけとなってしまう。また、明らかに異性愛のカップルのみを想定したワークであり、そこには多様なセクシュアリティやパートナーシップのあり方という視点はない。あくまでも念頭にあるのは異性愛のカップルとしての恋愛から法律婚への流れなのだろう。そのゴールにむけて、いかに異性とのコミュニケーションスキルを磨けるかを学ばせるのが婚学、ということだ。

また、「婚学」の授業では、自らのライフステージや結婚生活、出産予定などを具体的に想定できていないことなどが未婚化、晩婚化を招く問題であるという認識のもとに、ディスカッション、ワーク、ロールプレイなどを行いつつ、結婚生活のシミュレーションを行ったり、家事分担を話し合わせたり、結婚式の予算をたてるなどする。こうすることにより、結婚への思いを高め、価値観や具体的な生活イメージを共有するのだという。

だが、そもそもなぜ、晩婚化が問題なのか。少子化を大きな問題とする佐藤氏は「出産には適齢期がある」とし、「卵子の老化も伴い妊娠できる可能性が下がっていく」という理由を述べる(大分合同新聞2013年12月4日)。だから、「卵子の老化」が起きる前に結婚し、妊娠するべく努力が必要、という主張である。(この佐藤氏の論理が当てはまるのは女性に限定されるのは興味深い。)

ライターの大橋由香子氏によれば、2003年の少子化社会対策基本法が成立し、雇用環境の整備や保育サービスなどの充実などが記されるとともに、不妊治療に補助金が出るようにもなった。2007年にはワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)が提唱され、長時間労働などの、働き方の見直しが提唱された。だが、この流れの後、最近は「少子化と結婚の関係が注目されるようになった」と大橋氏は述べる。「結婚前の若者にこそ働きかける必要があるという議論が目立ってきた」と同時に、「晩婚化」「晩産化」という言葉が使われるようになり、そうした中で、「『発見』されたのが『卵子の老化』」だったのだという。(大橋2013:111)

佐藤氏は、「結婚しないのも一つの選択」であり、いろいろな生き方はあっていいとは述べる。(大分合同新聞2013年12月4日)しかしながら、婚学では、「ステキな大人」になるためには恋愛、結婚、家庭をもつことは不可欠なプロセスであり、しかも「卵子の老化」を招くなどの事態にならないように、正しいタイミングで行わねばならないということになる。さらに佐藤氏は、婚学は結婚したくてもできない人たちを対象にすると述べているが、同時に、「(結婚なんか興味ないと思っている人たちに結婚の素晴らしさを伝えるようなプログラムを作る必要もある)」と書き、「一つの選択」として本当に考えているのか疑問もわく。(佐藤剛史氏Facebookページ2013年9月4日

そして、離婚は避けるべきであり、「できちゃった婚」カップルもまた離婚率が高いとされているため問題であり、計画的に結婚、出産を考えるべきという佐藤氏自身の価値観もまた、婚学に大きく投影されている。

婚学の内容そのものは、佐藤氏の専門の農学とは全く外れており、学問的な内容とは言えないだろう。しかしながら「学」を名乗る、有名国立大学での授業であるため、アカデミックな権威を持ち得てしまう。さらに婚学の授業は、社会人ゲストが参加したり、ワークなどで学生が主体的に参加できる実践的な内容であること、コミュニケーションスキルをつける必要に迫られている学生たちもおそらく多いことなどから、この授業が学生の間で人気になることは、理解できる面もある。

そして、家事分担を推奨し、「弁当男子」になることをすすめ、「DV」や「ワーク・ライフ・バランス」も授業テーマとして含まれる「婚学」は、一種の「男女共同参画」的な価値観を推進しているようにさえも見える。

だが、同時に、「婚学」は、授業の構成や内容を貫くのが、異性愛の男女カップルという単位であることから、多様なセクシュアリティや暮らしのあり方を真っ向から否定するものでもある。「結婚の素晴らしさ」は自明のものとされ、その中で生ずる問題点や結婚制度そのものの問題点を議論することもなく、幸せになるために目指すべきものとして礼賛する。フェミニズムクィア研究が長年積み重ねてきた、結婚制度への批判的検討の積み重ねの成果は、少なくともシラバスやブログでの佐藤氏による「婚学」の記述からは、全く伺い知ることはできない。


◇「婚学」と男女共同参画

2012年に開始したばかりの佐藤剛史氏の「婚学」だが、すでに九州大学の学生対象の授業のみに限定されたものではなくなっており、他大学での講座、社会人むけのセミナーなどとしても広がりを見せている。例えば2013年11月には、大分県日本文理大での婚学講座が開かれた。*3

さらには「社会人のための婚学」講座、「婚学スクール」の開講、市民団体主催の講座、さらには京都大学女性教員懇話会の研究会に至るまで、様々な場で婚学講座が開催されている。これら講座の参加費はまちまちで、500円から5万円まで幅広い。そして、「婚学ファシリテーター養成講座」も開講され、ファシリテーターの育成もすすめられているという。2013年12月には、「さらに婚学を広めるため」に、「婚学普及協会」という組織がつくられ、企業等における「婚学セミナー」の開催も視野に入れているようだ。

さらに男女共同参画関連の講座においても、佐藤氏を講師とした婚学講座が開催されるようになっている。前項で書いたように、婚学は、DVやワーク・ライフ・バランスに関するセッションも含むなど、男女共同参画的な価値観や実践を推進している内容のようにも見える。斉藤正美が『社会運動の戸惑い』で指摘したように、地域で行われる男女共同参画関連事業は、講座や寸劇上映などの意識啓発事業、男の料理教室や、婚活講座などが多くなっている現状がある。*4 この状況に、佐藤氏の「婚学」はぴったりフィットしてしまうわけだ。

その佐藤氏は、「男女共同参画」の関連講座にも講師として多数出演していながら、男女共同参画の考え方に全面的に賛同するものでもないことを、ブログ記事に記している。「男女尊重」と題されたブログ記事(2012年11月11日)の中では、男女共同参画に関しての意見として、


男性も女性もそれぞれがいきいきと
充実した人生を送ることができるのであれば
男女共同参画でなくても
いいんじゃないかと思う。
大胆に言えば
男女平等、男女同権
なんてありえない。
大切なのは
男女尊重だと思う。


と書く。そして、男女共同参画社会の実現のために子どもが犠牲になってはならないとし、例として女性産婦人科医は、妊娠、結婚する可能性があるため、子どもや患者が犠牲になりやすいが、医師の女性に妊娠、出産はあきらめろということもいえず、誰かが犠牲にならざるをえないと主張。逆に男性の助産師は、夫の目の前で肛門を押さえたりすることがあり、妻も安心して出産できず、夫も平気ではないので、男性は助産師には向かないともいう。

さらに佐藤氏は以下のように続ける。

男女平等、同権でなくて
男女尊重がいい。
お互いの
生物的役割、
社会的役割を
認め合って
尊重しあって
支え合えばいい。
男性が男性としていきいきと輝く人生を
女性が女性としていきいきと輝く人生を
送ることが重要だ。

(中略)

私たちの目的は
男女共同参画社会を作ることではない。
夫婦がニコニコ笑っているような家庭を作ることだ。
社会は家庭の結晶。
すべての家庭が幸せなら
社会も幸せになる。
逆に、社会が男女共同参画になったからと言って
すべての家庭が幸せになるわけではない。
そういう意味で、
男女共同参画社会の実現」
は目的ではなくて方法だと思う。


ここで佐藤氏が「目的ではなくて方法」ということで何を意味しているのかは不明だ。だが、上記の文章からは、佐藤氏は明らかに、生物学的に決められた「男女に固有の役割」があると考えており、古典的な性別役割分担論を信じていることが明らかだ。

別の媒体では、佐藤氏は未婚の人と既婚で子どもがいる人、どちらに担任になって欲しいか質問をすると既婚の人と答える人が多いという例をひきつつ、「結婚、出産経験をした人の方が考え方に幅も深さもあり、仕事にも生かせる」と述べている。(大分合同新聞2013年12月4日記事)女性産婦人科医については基本的に両立できないという主張と、ここでの結婚、出産が職業の上でもプラスになるという主張とは矛盾しており、一貫性がまるで欠落している。あるいは医師という男性が圧倒的に多い職業と、教員という女性が比較的に多い職業とで、異なる基準を用いているのかもしれない。

この佐藤氏の性別役割分業観は、男女共同参画基本法に記されている理念とは、本来は相容れないものだ。基本法の第4条では「社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない」と、固定的な性別役割分担を否定している。

そして、第三次男女共同参画基本計画の柱の一つは「男性にとっての男女共同参画」であり、とくに男性の固定的性別役割分担意識を解消することがうたわれているのだ。佐藤氏の性別役割分担意識こそ、国の政策として、真っ先に「意識改革」が必要と本来は位置づけられているものにあたるといえよう。

このように、佐藤氏の「婚学」の背景にある思想は、基本法にうたわれている「男女共同参画」とは根本的にずれがある。しかしながら、斉藤(2012)が指摘したように、地域での男女共同参画の実践には、「性差別をなくす」という目的が見いだしづらい現状となっていた。そして、現在の安倍政権下での男女共同参画の目的に、佐藤氏の「婚学」は齟齬が全くなく、ぴったりとはまってしまうのだ。


◇安倍政権下における「男女共同参画」と消えた「性差別の撤廃」

2012年12月に、第二次安倍政権が誕生した。安倍晋三氏は2000年代前半の、男女共同参画への「バックラッシュ」に中心的役割を果たし、自民党の「過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム(自民党PT))の座長もつとめた人物でもある。2006年に出版した著書『美しい国へ』においても、「ジェンダーフリー」を批判し、「子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すのは、教育の使命」(安倍2006:216)と書いた。

その安倍氏は、2012年、首相の座に返り咲くと、今度は「アベノミクス」の下での成長戦略の中核として、労働力不足の解消などのために、「女性の活躍」を大きく打ち出した。そして、「育児休業3年」「5年で待機児童ゼロ」「上場企業で役員に1人は女性を登用」などの政策案を掲げた。

このように、今現在の「男女共同参画」は、森雅子担当大臣のもとで、「女性の活躍」が大きく打ち出されている状況だ。*5 そして、男女共同参画少子化対策の政策は、ますます区別がつきづらく、男女共同参画センター等で行われる事業の多くは、婚活セミナーや講演会、パーティーという状況も、ますます進んでいるようでもある。

そうした中で、「性差別撤廃」という視点は、以前よりさらに見いだしづらくなっている。例えば、2013年3月、森担当大臣は、国際女性デーにむけてのメッセージを、男女共同参画局のサイトに発表した。だが、そこで森大臣は、男女共同参画を推進するのは「日本経済の再生のみならず、東日本大震災からの復興、国際的な日本の貢献など、様々な課題への対応」、さらに「日本の繁栄に必要な人材の確保」などとしか述べず、女性は国のための労働力という位置づけであり、「差別の撤廃」という視点は見いだせないものだった。*6

大きく打ち出されている「ワーク・ライフ・バランス」の問題にしても、そもそも「ワーク」がなく、あっても非正規雇用で、生活できる賃金ではなかったり、安定した働き方ができている人々が少なくなっている中で、「バランス」どころの問題ではないという現状もある。多くの人にとって、「多様な働き方を」などと言っている場合ではなく、まず貧困の解決を、という状況である中で、「貧困」という単語は「ワーク・ライフ・バランス」の議論の中ではほとんど見ないように思う。

さらに、「男性の意識改革」に関する事業も行われ、男女共同参画局のサイト等で報告もされているが、こうした事業で想定されている「男性」は、正規雇用フルタイム職をもち、異性と結婚し、子どもがいる男性像に限定されており、そのモデルに当てはまらない男性については言及されることは稀である。

少子化対策」に関しても、安倍政権になってから、方向性が変わり、子育て支援や働き方の変革より、むしろ「結婚、妊娠、出産」に焦点が当たるようになった。この流れを示す典型例が、大きな騒動を引き起こした「女性手帳」である。2013年5月、安倍首相肝いりで設置されていた「少子化危機突破タスクフォース」により「生命と女性の手帳」(女性手帳)の導入が検討されていることがわかった。これへの批判が相次ぎ、結果として配布の見送りが決定されたものだ。「卵子の老化」を知らず若い世代の女性たちに、妊娠・出産に関心をもってもらい、晩婚や晩産を食い止めることが目的だった。(大橋2013)

その後、同年6月7日には、少子化対策会議において、少子化対策子育て支援の強化、働き方改革の強化に加えて、結婚、妊娠、出産支援の実現に向けた取組を推進していくことを決定。http://www8.cao.go.jp/shoushi/kaigi/shidai13/pdf/s2.pdf

さらに同年11月26日に、「少子化危機突破タスクフォース政策推進チーム」により発行された「少子化危機突破のための緊急提言」では、トップに記載された項目として、都道府県に「少子化危機突破基金」を設置することを提言。「結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない支援の充実・強化」をめざし、とくに地方自治体が地域の実情にあわせた取り組みの後押しとして導入が提言された。http://www8.cao.go.jp/shoushi/taskforce/2/index.html#k_1

だが、この「少子化危機突破基金」は当初、自治体の取り組みのために、5年で500億円が要求されていたというが、その時の構想では婚活の場を提供する「街コン」への補助金も含まれていた。だが、「コンパに税金を出す」事に対して与党内からさえも異論が相次ぎ、結局予算が大幅に削られ、1年で30億円の予算に至ったと報道されている。http://www.asahi.com/articles/TKY201312060529.html

同月に、自民党は「婚活・街コン推進議連」(小池百合子会長)を立ち上げた。婚活中の男女に出会いの場を提供する町おこしイベントの推進を目指すのだという。議連のFacebookページには、30億円の予算がついたことに関して、「これまで、子育て支援からの政策はございましたが、結婚支援を正面から取り上げた政策はほとんどございませんでした」と書かれている。

このように、安倍政権下で、「性差別の撤廃」という基本的な目的を失った「女性の活躍」を中心とする「男女共同参画」、および「結婚、妊娠、出産支援」に焦点をあてた「少子化対策」という方向性が強まった。この流れと「婚学」は、矛盾するどころかぴったり当てはまる。さらに、「街コン」のためには使えなくなった「少子化危機突破基金」関連予算だが、「婚学」だったら?おそらく、何の問題もなく、予算を投入できるのではないか。

そして、男女共同参画センターでの啓発事業等に参加する層がどんどん高齢化している昨今、センターが喉から手がでるほどに欲しい、若者世代を顧客として取り込める、「婚学」に飛びついてもおかしくない。さらに、「婚学」は意識啓発系の事業でもあり、さらに旧帝大の国立大学の講座というお墨付きがあると同時に、コミュニケーションスキルをつけるという実践的な講座でもあり、最近のセンター事業の人気コンテンツになりうるものでもある。行政にとっては大変に好ましいはずだ。


◇婚学と親学

さて、この「婚学」だが、名称といい、普及のための方法といい、高橋史朗明星大学教授が中心となって推進してきた「親学」との類似点を思い起こさずにはいられない。「婚学普及協会」や「婚学ファシリテーター」という名称は、「親学推進協会」「親学アドバイザー」を彷彿とさせるし、ワークショップ主体の、実践的な講座の進め方も似ている。さらに、どちらも大学教員が中心人物としてリーダーシップをとり、大学の外部にむけて展開している点も共通である。大学教員が中心という権威づけがありながら、誰でも学べ、「ファシリテーター」や「アドバイザー」といったリーダーになれるのだ。

親学推進協会の公式サイトによれば、親学とは以下のような目的をもつという。

親になることで、人生はより豊かになります。
親と子がともにいきいきと育ち、心から喜びや幸せが味わえるように、多くの仲間たちと一緒に「親学(おやがく)」を学んでみませんか。
「親学(おやがく)」とは、すでに親である方に限らず、これから親になる方に対しても、親とは何か、親に求められることは何かなど、親として学ぶべき大切なことを伝えるものです。

婚学と同様に、親学でも、幸せになるための学び、という点が強調されている。さらに、これから親になる人への準備としての学び、という点においても、将来の結婚や出産にむけての学びという側面を強調する婚学と似ている。そして、婚学も、男性の家事参加をすすめているが、「親学」も父親が育児に少なくとも興味をもち、学ぶことをすすめている。

婚学をすすめる佐藤氏が、料理など一部の家事を除けば、固定的な性別役割分担を支持する発言を行っていることは先に述べた。では、親学の高橋氏はどうか。男女共同参画への「バックラッシュ」全盛期だった2000年代前半には、高橋氏は、男女共同参画条例の制定に関して、保守側のスタンスから、固定的性別役割分担を守り、「男らしさ、女らしさ」を否定すべきではないという主張を行い、保守系集会講師などとして大きな役割を果たした。*7

2004年に出版された『親学のすすめ』(モラロジー研究所)の中でも、高橋氏は、親学の原点は父性、母性だとし、「ジェンダーフリー」批判を行っている。だが、当時も高橋氏は「男女共同参画」そのものを批判してなくそうという方向ではなく、むしろ保守に都合のよいものとして新たな意味を付与し、活用するという方向性をとっていた。
その高橋氏が熱心に推進してきた「親学」だが、2001年に「親学会」を設立。2004年には書籍『親学のすすめ』を発行している(親学会編、高橋史朗監修2004)。そして2006年には、高橋氏を会長とする、一般財団法人「親学推進協会」が設立された。そして、数多くの親学基礎講座、親学アドバイザー養成講座、親学出前講座が各地で開催されている。

さらに、高橋氏の「子守唄は親から子へだが、その逆に親への“報恩感謝”の想いを表現する試みもあってよいのではないか」という案から2004年に始まった「親守詩」は、作文、詩、連歌などのコンテストとして各地で地方大会が開催され、昨年10月には「第一回親守詩全国大会」が開催され、大きな運動として展開している。この全国大会は、高橋氏や日本教育文化研究所の明石要一氏が顧問をつとめる実行委員会のもと、TOSSなどの協賛もうけ、毎日新聞社共催、文科省総務省などが後援となり開かれたものだった。((追記:α-Synodos掲載時にリンクしていたSankeiBizの記事がリンク切れのため、「第1回親守詩全国大会」のプレスリリースを紹介しておく。)

着実に「親学」運動が広がる中、2013年、安倍政権のもとで、高橋氏は政府の「男女共同参画会議」の一員となった。現在、高橋氏は男女共同参画第四次基本計画の策定に大きな影響を及ぼす立場にいるということだ。高橋氏による、男女共同参画局の発行冊子『共同参画』2013年9月号の「巻頭言」を見てみよう。(少々長くなるが全文引用する。)

(引用)
私はかつて政府の少子化対策重点戦略検討会議の家族と地域の絆について審議する分科会の委員をさせていただいたが、わが国のこれまでの少子化対策は、出生率の回復につながらなかった。地方の出生率が急落しているにもかかわらず、従来の少子化対策は都市部で働く正社員の女性中心で、全国的なバランスのとれた対策と松田茂樹氏が『少子化論』において指摘している育児期において約8割を占める「典型的家族」が子供を生み育てやすい環境を作るための施策が不足していた。

少子化対策としての従来の子育て支援策は、働く女性の子育て負担を保育サービスの量的拡大によって軽減することが主目的になり、親としての成長、発達を支援する「親育ち」支援という視点が欠落していた。親は子育てを通して親として成長する存在であるから、親子がきちんと向き合う環境を整備し保障する子育て支援が必要である。

男女共同参画第四次基本計画の策定に向けて、これまでの項目、数値目標などの根拠の総点検を行うとともに、親子が向き合う「家族の絆」を深めるという視点から男女共同参画のあり方について根本的に見直す必要があろう。

高橋氏は、2013年9月発行の「親学推進協会」のメルマガの中で、会長による「近況報告」として、上記とほぼ同じ内容の文章を掲載している。だが、一つ重要な違いがある。メルマガのほうには、上記の『共同参画』巻頭言で言及されている「典型的家族」が何を意味しているかの解説が付随しているのだ。

全国的なバランスのとれた対策と育児期において約8割を占める「夫は仕事、妻は家庭」という「典型的家族」が子供を生み育てやすい環境を作るための施策が不足していたからです。


さらに、『共同参画』には記載されていない以下の段落も、メルマガには含まれていた。

少子化を抑制できなかったのは、「女性の社会進出に伴う仕事と子育ての両立の困難」を少子化の主因と誤解したためであり、少子化の最大要因は、非正規労働が増えるなど若者の雇用が劣化して「未婚化」が進んだことと、「典型的家族」において出産・育児が困難になっていることにある。それ故に、約8割を占める「典型的家族」対策に重点を移して少子化対策パラダイム転換を図る必要があります。


支援者向けという想定であろう、メルマガにおける加筆箇所こそが、高橋氏の主張として重要な部分なのではないか。ここで高橋氏は、少子化の対策としては、「夫は仕事、妻は家庭」という家庭を「典型的」と捉え、そこに重点をうつして行うべきだと主張している。そして、高橋史朗氏にとって、有効な少子化対策としての男女共同参画とは、働く女性の子育て負担を保育サービスの拡大により軽減することではないことがわかる。むしろ「夫は仕事、妻は家庭」という、高橋氏がマジョリティとみなす家庭において、親子がむきあい「家族の絆」を深めるべきだという主張である。そして、それこそが、第四次基本計画で目指す「男女共同参画」であると、高橋氏は述べているのだ。

そして、この高橋氏の持論と、先に述べた安倍政権下での少子化対策で最も重要と強調される「結婚、妊娠、出産支援」という流れとは、齟齬はない。

2013年12月、和歌山県御坊市の市民団体が主催し、行政が後援した男女共同参画講座で、高橋氏は「家族の絆と男女共同参画」と題した講演を行った。主催者による講座の報告によれば、ここでも「行き過ぎたジェンダーフリー」を批判し、「親学の持論を展開」したのだという。「参加者70名は「本当の男女共同参画の意味がわかった」と目からうろこの話しに聞き入った」と報告されている。この場合、主催団体のリーダーが「新しい歴史教科書をつくる会」など保守系団体に所属する人物だという要素もあるだろうが、現在、政府の男女共同参画会議の委員を努める高橋氏による同様な講演会は、今後も各地で行われていく可能性も高い。高橋氏による、「親学」と合体した「男女共同参画」や「少子化対策」の解釈も、こうして地域からじわじわ広がっていくこともありえるだろう。

そして、この御坊市の講座の主催団体が行っている「男女共同参画」に関する活動は、男の料理教室、女性と防災、ダンス教室やものづくり教室、寸劇など、いわば典型的な地域での男女共同参画の活動にみえる。無難な内容であるが、そこには「性差別の撤廃」という、本来「男女共同参画」の目的だったはずのものの片鱗を見ることは難しい。

こうした「男女共同参画」の活動と「親学」は、何ら矛盾がなくつながってしまっている。それどころか、「学び」の要素も大きく、大学教員も関わり、「啓蒙」としてはうってつけの内容かもしれない。そして、この「親学」の前段階としての、結婚に焦点を当てた「婚学」もまた、現在の「男女共同参画」の流れにぴったりはまっているのではないか。「弁当男子」や「家事参加」などを掲げ、固定的性別役割分業を一見否定しているように見えながら、実は根底にしっかり性別役割分業観があることも、一見、父親の子育て参加も推奨しているように見え、ワーク・ライフ・バランスの「ライフ」を重要視するという動きにも見えうる「親学」と、似てはいないだろうか。

このように、「婚学」と安倍政権下の男女共同参画少子化対策、そして「親学」に至るつながりが見えてくる。こうした「婚学」を無批判にNHKなどのテレビ局が番組で紹介し、新聞が取り上げるという状況は、大きな問題だろう。

安倍政権以前にかなり「安全」なものになっていた「男女共同参画」だが、現在は「婚学」や「親学」との矛盾を探すのが困難な状況にまでなってしまっているように思える。すでに、安倍政権下で、「女性の活躍」が集中的に取り上げられることで、男女共同参画の基盤は崩されつつある。少子化対策との絡みの中で、このまま「婚学」や「親学」的なものが男女共同参画に入り込んでいくことになれば、完全に換骨奪胎となり、「男女共同参画」の足下から崩されるということになるだろう。そうならないように、婚学の動きには今後も注目していく必要があるだろう。


【参考文献】
安倍晋三美しい国へ』(文藝春秋)2006
・大橋由香子「結婚は少子化対策のためにある?ーー手を変え品を変え、でも手帳は配りたい」『現代思想』9月号特集「婚活のリアル」Vol.41-12:110-119(青土社)2013
・親学会編、高橋史朗監修『親学のすすめーー胎児・乳幼児期心の教育』(モラロジー研究所)2004
山口智美・斉藤正美・荻上チキ『社会運動の戸惑いーーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(勁草書房)2012

*1:九州大学の「婚学」のほかに、新潟県で「婚学カレッジ」という団体があり、セミナー、講演、イベント等を開催しているようだが、九州大学のものとは直接的に関係はないと思われる。http://ameblo.jp/gata-con/entry-11460395778.html

*2:授業の履修条件として「1.授業への積極的な参加。2. facebookの使用。3. マスコミの取材への協力。4. 土日を利用したフィールドワークへの参加。」の4点が挙げられている。さらにシラバスにも「マスコミに取り上げられた実績」として、取材をうけた媒体や番組名を列記しており、マスコミ取材が佐藤氏にとって、重要な位置づけとなっていることが伺える。

*3:この講座は大分県保健福祉課の依頼によるものだったと「婚学普及協会」のFacebookページに記載されている。

*4:男女共同参画社会基本法の第3条には、(男女の人権の尊重)として、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、と記載されている。だが、斉藤正美が述べるように、実際の地域での男女共同参画の事業には「差別をなくす」という活動は見いだしづらい(山口・斉藤・荻上2012: 219)。富山県でも、福井県でも、男女共同参画に批判的な『世界日報』記者や、統一教会の信者らが、男女共同参画推進員として寸劇を上演するなど、活躍していた。もはや斉藤、荻上チキと私が『社会運動の戸惑い』本のための調査をしていた2008年から2011年頃には、熱心にそれまで男女共同参画に反対していた保守派でさえ、男女共同参画には興味を失っている状況にあった。男女共同参画は保守派にとっても安全なものと化してしまっていたのだ。

*5:男女共同参画局のサイトに挙げられている「主な政策」は、「女性の活躍促進」「女性の活躍状況の見える化」、さらに「ポジティブ・アクション」「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)」、「女性に対する暴力の根絶」、「男性にとっての男女共同参画」、「地方との連携」、「災害対応」という8項目となっている。

*6:筆者は、男女共同参画局の担当者に参画局のFacebookページ上で、この森大臣発言と「男女共同参画」の目的に「性差別撤廃」が含まれるかについて質問のコメントを行った。結果として、担当者は「性差別撤廃」が含まれるという返事はしなかった。詳細は筆者の個人ブログを参照。

*7:例えば千葉県の男女共同参画条例をめぐって、高橋史朗氏は、日本会議系の集会で講師を2度つとめた。(山口・斉藤・荻上2012)当時の男女共同参画に対峙する保守派の集会において、高橋氏の講師としての活躍は目立っていた。