京都朝鮮学校・徳島県教組襲撃事件刑事第3回公判傍聴記

アップせねばと思いつつ、ほぼできたかなというときに日本で大地震が起きたりなどして、ずいぶん遅くなってしまって今更という感じであまり意味がないかもしれないが、先月2月17日にひらかれた、在特会の京都・徳島襲撃事件刑事第三回の傍聴記を今頃アップしてみる。3月22日に第4回めの刑事裁判が開かれるため、辛うじてその前に、というわけだ。とはいえ、いつものid:arama000さんの傍聴記のクオリティには足下にも及ばない代物なのだが…。すでにtwitterで裁判の当日の深夜にレポしたのがtogetterにまとまっているので、そちらもご参照のほどを。

なぜ私がこんな傍聴記アップなどという慣れないことをやっているかというと、一月末から2月まで約一ヶ月ほど日本にいっていた間、この裁判の傍聴のためにせっせと京都に通っていたから。期間限定とはいえ新幹線乗り放題の(のぞみは乗れないが)JRレールパスは偉大だった!そして、今回の裁判は arama000さんもいらっしゃれず、傍聴券の抽選がけっこう厳しい状況だったから。ほかのヲチャさんたちも安田浩一さんもはいれない中、ラッキーにも私が入れてしまったので、何とか頑張って書いてみようと思い至った。しかしながら、一生懸命メモってみたものの、私のみみずがはったような字のノート、かなり 判読困難なところもあったりしたので、そのへんはご容赦のほど。そして、この際だから一気に載せようとしたら、超絶長いエントリになってしまったので、気合いのある方のみ読み進めてくださいませ。

今回は傍聴席に在特会関係者が多くて、法廷の一番左側の列は関係者が占めていたように思う。10名以上はいたはず。そんな中、アウェイ気分に陥りつつの傍聴。でも、民事裁判の弁護団の方々も7〜8人くらいいらしていたし、必ずしも逆側が少なかったとはいえないのかもしれない。

さて、前回行われた弁護人によるA氏の被告人質問の続き。()の中は私のちょっとした感想。

A被告は前回よりも張り切っていたように思う。在特会の名称および活動目的を説明した際、くるっと傍聴席のほうをむき、胸につけたブルーリボンバッジをさし、「これ、みなさんみてください。」と。一億に千万の日本国民は皆これをはめなくちゃいけない。犯罪行為をしても特別在留資格があれば強制送還もされないのだと主張。(この演劇的な発言の仕方をみても、裁判に勝つとか負けるよりも、自分の主張を言う場として裁判を捉えているように私には思えた。 )

動画アップの必要性については世間の人に活動を周知させる必要があるから。マスコミが報道しない政治問題を提起したいからと述べた。

京都事件のきっかけはN被告からのメール。公園を使えないというメールだった。 校門の前で立ちはだかっていることに関して、生まれ育ったところには在日の人が多く、朝鮮人を怖がっている人が多い。そんなことない、というのを動画を通して世間の人に知ってほしかったと発言。(やっぱり動画が相当重要と思われているようだ。)

学校に行ってから、子どもがいたことがわかった 。初級学校というのは日本人的感覚で、朝鮮学校のことはよくわからないので、1、2年生のことだと思っていた。だったら給食を食べればあがるはずだと思い込んでいたという。抗議は大人に対してしたつもりであると。(初級学校が何かも知らずに行ったのかとちょっとびっくりであった。)

朝鮮学校の子どもたちには否はないし、朝鮮学校の存在は許す。従来の外人もやってるような、アメリカンスクールのように犯罪もおかさず、政治活動もしなければ何も問題はないと主張。

徳島については、産経新聞の記事について、N被告からきいて、 義憤にかられた。徳島の被害者の方に指を向けたり、受話器をおかせたりしたことについては、こっちむいてほしかったし、話しをきいてほしかったと。 普段そういうことをすることはないが、抗議だからと。 抗議しているとき、悪いことしている意識はなかったし、正当性があったと主張。なぜかときかれ、きっかけがなければこういう事件は起きない。募金を朝鮮学校に送らなければ動いてないし、裁判もなかったと。(事件は他人のせい、ということなのかなあ。)

調書について、とくにやりすぎたと思っているという記述については、刑事がいったことにわかりましたとサインをしたということだ。自分ら3人が捕まるのはかまわない。だが未成年や女性もいた。せめて10日で残り4人も釈放してほしいとお願いした。調書はそのため、心証を気にして、さっと目を通してサインした。訂正してくれとはいっていない。事実とは違うが、いいやと思ってやりすごした。そのときの気持ちの記述に関しては、「警察官の作文」とも。(調書の内容を否定するという方向でA被告はきたようだ。 )

正当な抗議活動と思っている。でもやり過ぎといわれたら、やり方を変えてやる。

最後にいいたいことを聞かれた被告、 毅然とした態度の日本が必要。中国の侵略があり、そのため在日は住むところもなくなるのだ。だから、我々日本人とともに闘わねばならない。 目先の特権をむさぼるのではなく、などと主張。(ここでいきなり共闘呼びかけかよと、これも驚いた。)

次はK被告。

まずは身上関係の問答があり、その後で、今の自分の考え方をどのような経緯でもつようになったか聞かれた。K被告は、高校生くらいから今のような考え方をもつようになり、そのきっかけは歴史の授業だったと言った。自分のじいちゃんが侵略したとか、南京大虐殺など、悪口教育をされた。本当にそんなことをしたのかとことさらに先祖を陥れる教育に疑問をもった。今の考えは本など読んだ結果。南京大虐殺はねつ造であるとか、強制連行、従軍慰安婦などは事実無根であるとか。10年くらい前にHPを開設した。新聞やニュースをみて、違うかと思うものをブログ的に文章にした。今もHPはあるが、 掲示板に最近思った事をとりこんで配信するくらい。

在特会には平成19年にはいった。インターネットの動画投稿サイトで、会長の動画をみた。街宣内容をきいて感動して、活動に協力したいと思った。今の会での立場は副会長。究極の目標は入管特例法廃止だが、急にはできない。あやまった歴史認識、例えば強制連行についてなどを正していくのがメインの活動だ。具体的行動については、慰安婦意見書などが市議会などでだされたとき、可能な限り追跡。議員に面会したり質問状出すなどがある。

先祖の名誉をどんなことがあっても守らねばという気持ちがある。日本国民全員の財産だから。子どもや孫に安全な日本を。侵略し、罪のない人間を虐殺などと日教組は教育する。国を愛する気持ち、英霊への感謝が重要。思いを伝えるために、街宣でマイクを握る。じいちゃんたちは立派だったと。

国にまかせておけないと思うようになった。国は我々の国民生命と財産を守ってくれない。 京都で外国人参政権反対デモを行ったとき 暴行があった。現行犯逮捕すべきだったのに、犯人身柄を警察に引き渡したが取り逃がした。また、北方領土竹島問題、不法占拠、 拉致問題なども、国家には義務があるが果たしていない。 人まかせにするのではなく、自分もできる限りのことをしたい。

京都の朝鮮学校について、メールで情報提供があった。 日本人の公園を安心して使える状態にしたい、朝鮮人が運動場がわりにしている行為をやめさせねばと思った。当日用の打ち合わせはmixiの中で行われていたようだが、自分はそれは把握していない。当日現地にいけば、Nさん から指示があると思っていた。

K被告、 機材や配線の状況説明。危険性が高いと判断し、施工方式をみて、京都市の役所の許可なしと判断した。行政にお願いする手段は時間がかかるから考えなかった。(道具を準備していってることで、行く前から自分で取り外す気満々だったことはよくわかる。当日まで状況をみていなかったというのに。)

言葉が過激な理由は?:主義主張は間違っていない団体だ。ひとりでも多くの人にきいてほしいとネット配信、動画配信をおこなっている。関心をひくものでないと再生数はまわらない。ひきつけるために、あえて過激な表現をしている。(ここでもまた動画の重要性が言及された。)

徳島の参加きっかけは産経の記事。Nさん、Aさんらに内容をきいて、強い憤りを感じた。子どもを助けてあげようと思った。憲法をふみにじる活動であり、抗議の声をあげねばと。どんな抗議活動をするのかの打ち合わせは当日。直前まで徳島に参加できるかわからなかったので、それまで考えていなかった。

教育会館にNさんがはいっていったので、続いて行かねばと思った。状態はよくわからなかった。 二階には、みんながあがったから続いて行った。県教組の事務所にはNさんがはいっていったからだ。拡声器は音がでるほうをもっていて、ハウリングがおきないように調整した。(Nさんが、あるいはみんながしたから自分もそうした、という発言がかなり多いなと思った。)

K被告が直接的な抗議の声をあげる状況ではなかったのは、NさんやAさんがががっといくが、自分はブレーキ役だから、大人しくしておいたほうがいいと判断した。スピーカーの電源も途中で切ったが、Nさんに「マイクはいらへん、切れてるぞ」といわれたので、「ほないれよ」といれた。(ブレーキ役にあまりなってないような…)

女性のNさんが被害者の手をとって受話器をおいたことに対しては、人の話しをきくときに受話器をおくのは当然だ。直接抗議のときに人の手にふれることは今までは無かった。ほめられたことではないが、パンチいれているわけじゃないし、許容範囲と思った。(「パンチ入れているわけじゃないし」にまたもびっくり。「人の話しを聞く」とかいう状況だったんだろうかあれは。)

罪に当たらないと思っている。日本はすでに法治国家の看板をおろしている。
当時の法に照らしたら、ひょっとしたら触れているのかもとは思ったが、9月24日にシナのテロがあり、詹其雄(せんきゆう)の釈放が賄賂によってなされた。日本の司法は屈し、法治国家は終わった。 日本人の子供たちが安心して遊べるように、日本のためにと思い、抗議をしたのに逮捕された。逆に中国人船長は日本人を危険な前にあわせながら釈放。これは納得できない。「愛国無罪」という考えに私自身は賛成しないが、 詹其雄は尖閣諸島侵略の意図をもったが、売国無罪。日本のためを思い、領土を奪い返した我々は逮捕。相手によって態度をかえる司法には大きな矛盾がある。(まったく関係ないことを結びつける力技。)

徳島の幹部以外の逮捕者を守りきれなかったのは残念だ。未成年や女性が逮捕された。 参加者には申し訳ないと思っている。日本人としても男としても恥ずかしくないが、副会長の立場としては、参加者から逮捕者や書類送検者をだしたことで、責任とって副会長はおりなければならないと思っている。在特会の活動 は続ける。手法は会長や活動仲間と十分反省会をして検証する。反省すべき、検証すべきところはやっていく。参加者の安全を最優先し、安心して参加できる大衆運動としたい。(「日本人としても男としても」が出てきたのが興味深いなと思った。しかし、手法を検討する、安心して参加できる大衆運動とここで発言した前の月に例の水平社前での街宣やってたとは。)


N.S.被告

身上関係の質問の後、いちばん主張したいことについて聞かれた。
行き過ぎた部分はあり、拘束、逮捕、起訴された。道義的には正しかったのではないかと思っている。それは目的において正しかったという意味だ。
正しい目的として、主権回復を目指す会の目的や主張を説明した後、自分自身の主張を聞かれ、伝統文化を重んじることと答えた。社会運動へのかかわりきっかけとなったのは拉致問題救う会にかかわった。
従来の右翼は運動により生計をたてていて、こわもてである。人に対し忌避する気持ちを抱かせる活動とそうではない活動の違いがある。従来右翼については懐疑的である。(従来の右翼との違いについては、担当の徳永弁護士の質問に答えた形。なぜこの質問を出したのだろう?答えは「市民」運動だから関わったのだという方向性を出そうとしてるようではあったが。)

以前は政治に関心はなく、戦後教育の自己実現追求にはまっていた。 父親になるというときに転換。私的な自己実現や利益より、公のことを考えられるようになった。

主権の西村修平さんを知るきっかけは、ネットで検索したこと。そして、桜井誠さんも知るようになった。修平さんは運動歴も長く、右翼とも活動してきた。思想的に深く、修平さんのほうが近いと思ったので選んだ。桜井さんについては、本名でないなどの疑問点があったので、メール会員となった。

関西には古くから活動している方がいたが、運動の発展性という面で疑問があった。そんな中、当時すごい勢いで、動画をフル活用して周知するスタイルにひかれた。平成21年10月、当時カメラマンだった人とAさんと3人で食事をした。そこで関西支部の正式発足となった。支部長はその後やめた。距離があったことと、修平さんの考え方を十分に伝えきれず、統制か自由かなど、 懸念材料が多かったため、関西支部は解体となった。

運動はネット活用し、メンバーつどい募集して行くという新しい形だったが、素性のしれない人間が集まってくるという常に心配な部分があった。統制がとれない、突発的な行動がある、規制あげられる、罵詈雑言を叫ぶ、絵面的によろしくない、など。たくさんの人にみてもらおうとしたがネットのヒット数推移をみていると、考えていたほど効果はなかったと総括している。

事前に逮捕されるという情報ははいってきた。 昨年5月末に、京都南署に出頭した。逃げも隠れもしないことを表明するためだ。逮捕については、「まあ仕方が無いのかな」と思った。それに値するような行動、超過した部分があったのだろうと。「やりすぎた」という意味。取り調べのなかでもう少し慎重にやるべきだったのでは、と反省した。子どもを巻き込んだ点についても。相手が朝鮮総連だったので、冷静に考えられていなかった。 威力業務妨害について。拡声器を使ったりした事は行き過ぎたと思う。関係者やまわりの人に迷惑かけたと思う。反省はある。

調書で述べた事については、 異議はなかった。至って正常であり、お互いに紳士的だった。内容はその通りである。(A被告の調書についての発言とかなりずれている。)

反省もつに至った被告が裁判で無罪を主張するのはなぜか。:学歴もお金もバックもない、小さな集団だ。稚拙な部分があった。取り調べの中でそれを指摘された。情の部分では納得いかない部分はあった。法的な部分についての判断はいただきたい。行動をともにする団体のみなさんが、何を誤って何がだめか、私たちを材料にしてよりよい運動をしてくれればいい。(N被告だけ他の被告より反省している印象を与えるが、この部分の回答は私個人的にはちょっと苦しいなと思った。ほかの被告たちと方向性をある程度はあわせなくてはならないからか。)

侮辱罪についての罪状認否。4つの自身の発言については、すべて「事実を述べたもの」、あるいはただの「喧嘩の応酬」であるとし、侮辱罪には当たらないとした。(侮辱罪については全面否定。)


検察官からのN被告への質問。
京都徳島事件の調書については行った通り書かれているか:「ほぼ」との答え。
徳島で声明文を読むとき、警察がきた後か否か:警察は抗議中にもたくさんいた。来た瞬間に抗議文を読んだわけではない、とした。

ひとりで抗議はしないのか?: 見えないところではあると。意見書を書くなど。集団で行うメリットとして、政治活動は最低5人はいないと無理で、1人の意見ではなくいくつかの意見があったほうがいい。横断幕をもつのが2人、日章旗もつのが1人、弁士が2−3人は必要。

京都市の抗議活動に関しては、12/4以前に11月、総連本部前で別件で街頭演説をしたことがあった。自分の演説で、自分たちが行く前に話したが、どけてくれなかった。
拡声器やマイクを使うのは?という質問に動画配信のためと答える。
周囲の人に聞こえるように?と問われ、それもそうだと後からつけたした。

京都と違い、事務所内にはいった。敷地内にあがれといわれたのも初めて。 勢いでいった。K被告に切れているとN被告がいった件については、滅多にないチャンスだったし、マイクを使いたかった。

日教組が単位組合ごとでカンパの仕方が違うことは把握しているか:現時点ではきいている。でもわからないでしょ。作文でしょ。募金総額なんてわからん。
現時点では朝鮮学校にお金わたしたことが問題と思っている。交通遺児のためなのに、ほかの用途があるのはおかしい。朝鮮学校にが大きい。

現在は在特会支部長。京都支部。今後の活動は接触禁止がとれてないが、京都の問題を中心にワンマンでやる。他の人と話し合いしない。今回のようなやり方はしない。

弁護士の質問。 京都の学校で授業中に、大きな音をたてて妨害と普通思うのではないか?:出発点が違う。学校とは思っていない。大きな音をたてたりしたことについて、子供いると思ってない。昼間で終わっていると思っていた。公園で遊んでいるくらいかなと。

建物で徳島でにこにこしながらVサインされた件については:
認識としては日教組の部屋へいけるのかなと思った。普通は警備員や警察が止める。びっくりした。どうして?と思った。受付と二階事務所と連絡がとれていると思った。

K被告の主張は考え方が違うと思えるが?:
8割くらい同じ。思想家じゃないから、イデオロギー的に固まっていない。ゆるやかな連帯であり、おかしいと思った点があったときに集まってくる。

A被告。 
弁護士から調書内容について聞かれる:不満はとくにない。
被害者の方が電話していたが、話しきいてほしかった。だが、被害者の方が話しきく義務はないですよね?という質問に対しては、ないと。

現在は会の活動は逮捕されてから全くしていない。保釈の条件だから。
条件とけたら4人で話し合いをする。やり方をかえる。

K被告と考えがいっしょか:おおまかな部分でいっしょなら共闘できる。違う部分はある。これはダメという点で一致したらいい。

K被告
Kに検察から。カッターとニッパーあらかじめもっていったか?:持っていった。

N.S. 被告
京都にはほかの人とちがって単独でいったのではない?:単独ではない
言葉いったとき拡声器を使っていたか、誰のか:その場で誰かからわたされて、 ひきついだ。
徳島には参加していないのは?:主権本部ではチーム関西から距離をあけるようにといわれた。

徳永弁護士から。調書に一点不満があった点。
気持ちとは違う部分は「ブレノさんもいっしょに事件おこした仲間と思っています」という部分だ。
ブレノさんがいなくてもやってた、ということだ。ブレノさん部分が自分の気持ちと微妙に違う。他には不満はない。

証人請求は棄却。(検察から請求し弁護側も同意した証人)
次回は3月22日午後2時30分から同じ法廷にて。

全体的に、質問内容と、被告の答えのズレがある箇所が多かった。想定尋問は明らかにしてなさげだったという印象だ。とくに、具体的な会の活動内容を問われているのに、会の趣旨を述べるケースが目立った気がする。そこになると饒舌に話しだす被告たち。逆にいえば、具体的な活動というのがあまりはっきりしていないのかも?
検察の質問は 短かかった。また、K被告の主張とほかの被告の主張がずれているのでは、と2度も被告側弁護団(たしか)が質問したのが印象に残った。
社会運動を扱う研究者としては、N被告が、運動には最低5人が必要という旨の説明をしたとき、これが在特会的な運動スタイルなのだなあと思った。彼ら的な街宣スタイルを主眼において、そこから政治運動を定義しているのかなと。
また、拡声器を使った理由なり、運動をする理由として、動画が非常に大きな役割を果たしているということが、すべての被告の証言から伺えたように思う。すなわち、ブレノ氏の役割の大きさにつながるのだが、N.S.被告がブレノ氏の役割についてだけは、かばうような証言をしていたのも印象に残った。