主流女性学における「リブ=田中美津」像の問題と、『バックラッシュ!』の上野千鶴子インタビュー


 女性運動史における「江原史観」問題エントリにおいて、江原氏が初期リブ運動を東京の一団体である、「ぐるーぷ闘う女」でまとめて考察してしまっていることの問題点に若干言及した。江原氏のリブ=「ぐるーぷ闘う女」という図式は、すなわち、リブ運動を語るには、田中美津氏の思想「だけ」語ればよい、というような、主流女性学に蔓延する考え方を表しているように思う。


 バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?本の上野千鶴子氏のインタビューにおいて、上野氏はジェンダーフリーバッシングと、リブへのバッシングを対比している。そして「その歴史の強烈なカウンタ−パンチに、日本で初めて肉声を与えたのが、田中美津でした。」(409)と主張している。
 『資料日本ウーマンリブ史』に掲載されている、飯島愛子氏など、「侵略=差別と斗うアジア婦人会議」のメンバーの文章は、後の人たちにリブの誕生を告げたという性質をもつだろうし、それに続く多くの(無名かもしれない)リブたちによる文章の数々は、私にとっては、「肉声」に他ならないものだ。だが、上野氏のインタビューを読む限りでは、まるで田中美津氏のみが「肉声」を与えたように聞こえるではないか。また、リブセンターで田中氏が書いた文章の裏に、日々の運動や、その文書の印刷など様々な裏の活動を担って来た女たちがいたのだ。彼女たちの声は、出版物にこそ表れてはいないかもしれないが、裏に確実に存在する「肉声」であっただろう。

 栗原奈名子監督の、『ルッキング・フォー・フミコ』(1993)という映画にも、様々なリブたちが登場する。東京に住むリブのほか、北海道でリブ運動をしていた「メトロパリチェン」というグループも扱っている。監督自身がリブに興味をもつきっかけを与えた、亡くなったフミコさんという女性の妹さん、そして、「メトロパリチェン」の仲間たち。映画の展開からすれば、この女たちを中心に扱ったほうが自然だったのではないか、題材としてもとても興味深い内容だったし、説得的でもあったのではないかと思う。だが、今年久しぶりに2度この映画を見る機会があったのだが、様々なリブたちを扱いながら、結局、鍵となる場面で出て来て、全体のまとめ的に扱われていたのは、(鍼灸師でもある)田中美津さんだった。この映画を見せた学生のうちのひとりが、この映画(英語題 Ripples of Change) は"Ripples of Change through Acupuncture" といえるのでは、というコメントを述べたが、言いえて妙だと思った。田中さんや、彼女の主張こそが、映画の中心テーマであるかのように扱われてしまっている状況をよく表していたからだ。


 こういったリブ=田中美津氏という印象を与える著作や映画に対して、溝口明代・佐伯洋子・三木草子が編集した『資料日本ウーマンリブ史』は、日本のリブがいかに全国的に起きていた動きだったかをよく表している。この論集は、リブのグループによるミニコミの数々の中から、編者たちが重要な文章を選び出し、掲載したものだ。おそらく日本のリブについての文献のうち、最も重要なものだといえるだろう。この本の編集方針について、編者のひとり、三木草子さんに以前インタビューをしたことがある。また、「リブ史を読む会」という合宿の際には、三木さんと佐伯洋子さんによるお話も伺った。そういった話によれば、「資料日本ウーマンリブ史」では、東京一極集中だとされがちなリブの動きが、実は日本全国で起こっていたのだ、ということを重要視する編集方針をとったとのことだった。そういうわけで、運動の起きた地域別、運動の関わったトピック別、そして全三巻を年代によってわけるという、3種類の分類を混ぜ合わせた複雑な編集方針をたてたというのだ。結果、「リブ史」を見れば、全国各地でリブの団体が運動をしていたことが一目瞭然になっているわけだ。そして、「リブ史」の第三巻は、1982年までカバーしている。優生保護法改悪阻止運動が成功に終わり、リブの雑誌、『女・エロス』の発行が休止された年だ。「リブ史」が表象するリブ運動は、少なくとも82年まで続いていたのだ。「なぜ1982年までなのですか?」と三木さんに聞いてみたことがあるが、特別な理由は無い、とくにリブ運動がそこで終わったと解釈しているとかいう理由ではないとの事だった。


 だが、『リブ史』の出版にもかかわらず、いまだに『バックラッシュ!』本の上野氏のインタビューのように、リブ=田中美津氏であり、しかも75年以前の動きに限定されているいうイメージが再生産されている状況は、問題だ。この図式によって、本来あったはずの多様なリブの動き、そして、多様な肉声が聞こえなくなるのではないか。例えば、先日、元ぐるーぷ闘う女/リブ新宿センター(リブセン)のメンバーの土井ゆみさんといっしょに、リブセンニュース『この道ひとすじ』のバックナンバーのコピーを見る機会があったのだが、そこで土井さんが「あ、これが、リブセン初の、レズビアンによるレズビアンのための記事だ!」と教えてくださった。それは確かに貴重な記事で、土井さんに言われて初めて私はじっくり読んだのだった。だが、この記事で表れているような、リブセンでは主流ではなかったかもしれないが、確実に存在した肉声が、リブを一人の個人によって代表させるような表象のもとでは、見えなくなってしまうのだ。そして、リブセンの活動じたいも、田中氏がメキシコに発った75年以降も続いていたのだが(77年まで)その活動はなかったものとされているかのようだ。東京の、リブセンター内の声でさえそうなのだから、日本各地のリブたちの多様な姿など、まるでなかったことにされてしまうのでは、と思う。多様なリブの語りをもっともっと聞きたいし、伝えていく必要性を感じている。

参考:
『バックラッシュ!』キャンペーンブログ 
斉藤正美さんの『ジェンダーとメディア・ブログ』での議論