育鵬社の新編『新しいみんなの公民』 さながら“安倍晋三ファンブック” 憲法改正に向けての動きを作り出すツール

 育鵬社版の公民教科書は、 国家に貢献できる人材づくりを目指したものだ。そして、前回検定版にも増して、改憲にむけての動きを作り出そうという狙いが 明白な作りである。

 冒頭で「グローバル化」を扱うが、そこでは 国の歴史、伝統、文化を踏まえた存在こそが「グローバル人材」であると定義づけられる。その主張を強化するために、 曽野綾子氏の「よき国際人であるためには、よき日本人であれ」という文章が掲載されている。 他の章でも、 愛国心や国家への意識の重要性が 強調されている。

 日本国憲法の解説として「国民主権天皇」と題された節があるが、 その中に「国民としての自覚」という項目を新設。「国民」の(権利ではなく)義務と責任を強調している。同項のコラムには、東日本大震災の被災地で黙祷する天皇皇后の写真とともに、「日本の歴史には、天皇を精神的な支柱として国民が一致団結して、国家的な危機を乗り越えた時期が何度もありました 」と書かれている。 別の東日本大震災についての頁も、「自分を犠牲にして住民を守った公務員」や「感動与えた日本人の秩序」など、国家への自己犠牲を賞賛し、 ナショナリズムを煽る内容だ。

 改憲に関連する記述が多いことも特徴だ。「憲法改正のしくみ」については今回「憲法改正要件の比較」という表も追加された。基本的人権に関しても、社会秩序を優先し、個人の権利や自由の行使が制限されることもあるとし、集会・結社の自由の制限などの例を挙げる。 また、新たに「政府の仕事」として追加された「国民を守る防災・減災」という項目では、災害時の危機管理システム構築の重要性が強調される。 現在改憲派にとっての最優先項目だといわれる「緊急事態条項」の導入に直結した内容といえるだろう。

 また、環境権などの新しい人権を憲法に明記すべきだという考え方があるとも書く。さらに 国防の義務が日本国憲法にないことが珍しいということも、繰り返し主張され、 「平和主義と防衛」という節では、有事への備えが現在の法律で不十分であると述べ、中国や北朝鮮の軍事的脅威が強調される。 改憲派が主張していることがもれなく盛り込まれている。

  育鵬社の宣伝誌『虹』によれば、今回の教科書の最大の特色の一つが「人生モノサシ」という図だ。「学校教育の時代」「社会人の時代(結婚を含む)」「親の時代(出産・子育て・家庭教育を含む)」 「高齢期」という人生のモノサシが示されている。結婚や出産、子育てが前提となった画一的なモデルだけが提示され、多様な生き方という視座はない。

  執筆陣は全員男性だ。男女共同参画社会の説明は、基本法の定義とは乖離。「 男女のちがいを認めた上で、たがいに尊重し、助け合う社会をいいます」と説明される。「男女のちがいというものを否定的にとらえることなく、男らしさ、女らしさを大切にしながら…」という記述もあり、「夫婦同姓制度も家族の一体感を保つはたらきをしていると考えられています」と説明されるなど、 家族の一体感や維持の重要性を強調。改憲派の提案する「家族保護条項」に直結した内容だ。

  領土問題については、約4頁にもわたり日本の立場のみが詳細に示される。 辺野古への米軍基地移転は地元への「負担軽減」という解釈も、 政権の立場に偏った記述だ。

 また、人権や差別問題に弱いという本教科書の特徴は、 「人種差別」を海外の問題だとして位置づけ、 「社会権」は外国人に保障されるものではないなどと定義づけにも。 ニートは「学校に通わず就職もしない」と自己責任かのように描かれ、社会構造の問題という視点も非常に弱い。

  他にも、 たとえば村上和雄氏の「 遺伝子の世界とサムシング・グレート」と題するコラムが残ったが、これは 反進化論 「インテリジェント・デザイン」論と近い考え方で、非科学的という指摘もある。ちなみに、 史実にはないとして保守陣営内からの批判もある「江戸しぐさ」については、検定合格後に削除されたという。

  「日本がもっと好きになる教科書」を謳うが、あくまでも安倍政権が理想とする「日本」を好きになれ、というものでしかない。そして、これは「安倍晋三をもっと好きになる 」ための教科書だ。 掲載された安倍氏の写真は15枚に及ぶ。 「安倍晋三ファンブック」と化している本教科書だが、政権の目指す憲法改正のためにはこの上ないツールと見なされるだろう。この動きは止めなくてはならない。

山口智美

(本稿は『週刊金曜日』2015年6月15日号に掲載された山口による執筆記事を、編集部の許可をとり再掲したものです。現在、教科書採択戦の重要な局面が続いていることからアップしました。)