何が忘れられているのか

前回のエントリと、トラバをいただいた、id:tummygirlさんのエントリ「忘れていたという事実を思い出すために」に関連して。(所用につき時間がなく、まとまっていませんが、とりあえず思いついたことを書き留めておきます)

この部分で、yamtomさんの批判の焦点がどこにあるのか、わたくしは完全には理解し損ねているのだけれども、つまり、「<バックラッシュ>って大騒ぎしているけれども歴史を振り返ればそんなに騒ぐ必用はないだろう」というところなのか、あるいは「<バックラッシュ>が、いわば制度的フェミニズムをどこかで支えている(<バックラッシュ>に対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外のフェミニズムの歴史が積極的に忘却されている)」というところなのだろうか。

tummygirlさんのブログのコメント欄にも書いたのだが、私が言いたかったのは後者の「<バックラッシュ>が、いわば制度的フェミニズムをどこかで支えている(<バックラッシュ>に対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外のフェミニズムの歴史が積極的に忘却されている)」のほう。(確かにわかりづらい書き方でした。すみません。)今のバックラッシュがたいしたことないといっているわけではない。このバックラッシュの背景にある、日本会議がらみの全国的に組織だった動き、そしてネットを通じての動きは、今までと性質が違う面があるのは確かだと思う。

だが、バックラッシュに対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外の歴史の「積極的な忘却」というtummygirlさんの指摘された点と、その忘却に基づく「歴史の塗り替え」がなされているのではないか、という点に関して、かなりの危機感をもっている。典型的なのが混合名簿運動だろう。もともと「教育における性差別撤廃」や「男女平等教育」という名のもとに、地道に草の根的になされてきて、組合などにも広がって行ったという歴史をもつ運動が、いつの間にか「ジェンダーフリー教育」運動の一環という位置づけになっていて、結果、「ジェンダーフリー」概念が導入される1995年以前の混合名簿運動の流れなどが真剣に振り返られていないという事態になっているように思うのだ。(『バックラッシュ!』掲載の長谷川美子さんの論文は、この欠落を埋める貴重な文章だと思う。)混合名簿運動が盛んになりはじめたのは80年代(問題提起は70年代後半からあったようだ)。その「80年代の女性運動の歴史」、もっといえば、初期リブ以降の歴史が、バックラッシュに関連する言説で見事に落ちているのが気になるのだ。
この典型例が、『バックラッシュ!』掲載の、上野千鶴子氏のインタビューだ。上野氏はリブ叩きと現在のバックラッシュを比較し、両方とも同様に性的自己決定権をターゲットにしているが、リブ叩きのときには男たちが余裕があったが、今回は余裕がなく、危機感があらわれていると分析している。だが、なぜリブと現在という二つが取り上げられ、その間30年の歴史が抜けているのだろう?その間にフェミニズムが叩かれなかったわけではまったくないのに。そして、私が見る限り、80年代中盤から後半のフェミニズム叩きは、けして余裕がある、といえる性質のものではなかったと思う。

私は「行動する女たちの会」との関わりが深いこともあり、今回のバックラッシュが注目を集める前から、いかに80年代の(具体的には70年代後半からーちなみに日本初の女性学会 *1が、運動を排除する形で成立したのは77年)女性運動史が欠落しているかという点について考えてきた。そして、いちおう女性学を専門のひとつとして勉強していたはずの自分が、この時代の運動について「何も知らなかったこと/知ろうともしていなかったこと」に衝撃を受けた。運動史そのものが、多くのジェンダー論の授業とか、教科書の類いから欠落している場合も多いのだが、たとえ教科書や学術書などで語られても、リブのそれもほんの初期の数年の話だけで、その後は制度化がすすみ、女性学が発展しました、、という典型的江原史観のパターンに流れる場合も多い。そういう女性学勝利の歴史観の中で、忘れられてきたもの、語られてこなかったものが、80年代の女性運動だった。

だが、80年代の女性運動ーたまたま私が関わり、研究した行動する女たちの会だけにしぼってみても、優生保護法改悪阻止運動、雇用平等法をつくる運動、「性の商品化」やミスコンに関する運動(ミスコン運動についてはまた時間があるときにでも書きたい)など、「バッシングを受けた」運動の連続だった。行動する会関連だけでもこれだけあるのだから、日本全国、地方まで含めた女性運動状況をみたら、ものすごい蓄積があるはずだ。(地方の状況については、id:discourさんあたりの報告を期待したい。)

80年代後半から90年代初頭にかけての「性の商品化」問題に日本女性学会が関わったケースをのぞいて、「主流女性学」が成立してその後10年ほどの間は、女性学関係の学会は驚くほどに運動がらみの動きをみせていない。学者の中でも、個人として動いたひとたちはもちろんいたのだろうが、学会としての動き、団体としての動きが見えてこない。あるいは、実はあったのだがこの歴史も消えているのだろうか。だとしたらなぜなのか。

もともと行動する会というのは、女性運動の主流と草の根の間を行ったりきたり的なところがある団体だったと思う。見る人によっては、行動する会は東京の団体でもあったし、名前も知られており、初期にはとくに有名人もはいっていたし、主流女性運動そのものに見えただろうし、リブ系のひとたちからみれば、ラディカルさに欠けるリブとは異質の団体という評価もあった。だが、行動する会を国際婦人年連絡会的なところからみたら、傍流にみえていただろう。行動する会は、連絡会と組もうとしたときもあれば、リブ系のひとたちと組んだときもあった。そして、80年代、上野さんや江原さんらが「有名人フェミニスト」として著名になった頃、彼女たちを「行動する会を批判してください」と集会によび、その後もニュースレターを通じて議論を続け、批判もした団体でもあった。

だが、バックラッシュ騒ぎ以降、もともと落とされがちではあった、行動する会ーとくに教育分科会の混合名簿や学校/教科書の中の性差別撤廃などの、教育関連運動の歴史が、「男女特性論」に基づいた遅れたもの的に描かれたり、完全に落とされたりしているのはやはりおかしい。「ジェンダー」概念を過剰に美化し、それこそが女性運動のマイルストーンである的に扱うためには、それ以前の女性運動の地道な成果を故意に「なかったこと」、あるいは「たいしたことがない、限界があった」ものと扱う必要があったのだろうか、と思ってしまうのだ。

行動する会以外にも、いつかきちんと見なければいけないと思っているのが、70年代初期〜中期にかけて活動を盛んに行った中ピ連だ。「リブとは違う」という扱いをされがちな団体だが、この団体への注目度の高さは、大宅壮一文庫にいって当時の週刊誌をみてみれば一目瞭然。フェミニズムへの注目という点でも、バッシングでも、この会を落として語るのは大きな欠落なのではないかと思う。そして、便宜上リブ以降、という表現を使ってしまったが、もちろんリブ以前の運動の流れも重要だと思う。リブが革新的運動であったことは確かだが、流れはリブ以前からー安保やそれ以前からー続いているわけだし、運動をしている人々には、リブから唐突に運動をはじめたわけではないひとたちもたくさんいる。

バックラッシュ」を表にたてることで、過剰な防御態勢にはいってしまい、内部の異論がある意味封じ込めやすくなり、特定の歴史以外は積極的になかったものになり、忘れられていく、、そういう問題を現在の動きには感じてしまうのだ。そして、行政を批判はすれど、そのプロジェクト(「ジェンダーフリー」、ジェンダーチェックなど)に積極的に乗ってしまった女性学そのものを反省的に見ることができていない、という状態も続いている。「(特定のバージョン以外の)女性学の歴史」の忘却だ。行政プロジェクトに乗っかってしまった歴史、80年代の運動を語らずにきてしまった歴史、、そして「ジェンダーフリー」をめぐる混乱に関しても、女性学側で混乱の元凶をつくったり、広げたりした当事者たちは相変わらず消えたままだし、、

*1:国際女性学会、今の国際ジェンダー学会