ファイトバックの会ブログ謝罪問題の顛末と、便利に使われる「バックラッシュ」

(長文かつ、細々した背景が書いてあってわかりづらいかもしれませんが、記録も兼ねたエントリーとだと思っておつきあいください。)

前エントリーで書いた、ニュー世話人会ML事件を引き起こすそもそもの原因となったのは、8月31日に削除されたファイトバックの会のブログにおいて、大阪地裁において証人として証言した前すてっぷ館長の桂容子さんに対する誹謗中傷のエントリーについての謝罪問題だった。被害者である桂さんに対して、会として謝罪をすべきか否かをめぐって、ファイトバックの会は分裂状態になったのだった。今回のエントリーでは、この経緯を記しておく。

桂容子さんの証言をめぐる問題のエントリー(複数)は、ほとんどが会のMLに会員から投稿された文章を掲載したものである。問題があるエントリーは複数名によって書かれ、かなりの数にのぼっていた。ML投稿を、投稿者に確認して、その上でブログにブログ更新担当者が掲載するというシステムをとっていた。よって、問題エントリーの掲載および内容に関しては、ブログ更新担当者および記事執筆者の両方の責任があるといえるだろう。(ファイトバックのブログの更新システム問題点については、次回以降のエントリにて説明したい。)

エントリーの内容については、当該ブログ記事も削除されたことだし、ここでは引用したり、詳細に触れることはできない。おおまかにいえば、桂さんの証言から、事実ではなく想像に基づいた批判(論拠のないままに「〜に違いない」「〜していなかったのはおかしい、しているはずだ」とする)、論拠を示さずに、証言は誠実ではない、ウソをついているはずだ、隠しているはずだと決めつけるもの、そこからさらに広がり、桂さんの人格そのものを否定するような内容だった。文章のみならず、短歌の形式をとったものにも、決めつけの酷い内容のものがあった。

私自身、これら桂批判のML投稿やブログエントリーを見て、酷いなとは思っていたのだが、当時個人的に仕事が忙しい時期で、詳細に読み、問題を指摘し、批判することもないままに放置してしまっていた。これは私自身の重大な反省事項だ。

ファイトバックの会の会員を通して 、桂さんがこれらのエントリーが誹謗中傷かつ人権の侵害であるという指摘をされてきたのが5月中旬。(その前からその会員の方などに対してはお話はされていたらしいが、直接的に会にその意思が伝えられたのが5月のこととなる。)それ以降、桂さんに対して、問題のブログエントリーに関して謝罪をすべきかどうかが会の中で問題になった。会のMLにおいては、桂さんに謝罪の必要などないとする意見の中で、再度桂さんへのひどい誹謗中傷が飛び交ったりする事態が生じていた。二次被害のようなものである。300人もはいっているMLなので、転送禁止とどんなに言ってみたところで、コントロールをするのは不可能でもあり、被害はML範囲外にも拡大していくことになる。

しかしながら、世話人会においてはこの謝罪問題の話し合いはまともになされず、むしろ一般MLでの議論をどう押さえるかというのが課題とされていたように思う。そして、議論をやめさせるための言い訳として使われたのが「控訴審があるから」という理由だ。この議題についてようやくまともに世話人会で話し合ったのは6月5日の控訴審の後の拡大世話人会でだった。
「裁判があるから」という理由を使うというのは、「裁判のほうが、桂さんへの人権侵害の件よりも重要」だという立場を表明しているようなものだろう。しかしこの理由が平気で使われ続けてしまう という事態だった。

ここで、まず会の副代表が桂さんに会って話をきく、という決定がなされたらしいのだが(私は出席していないので、詳細はわからない)、被害者である桂さんへの謝罪もないまま、会う目的も被害者にはよくわからないままで会うというのにはいくら何でも無理がある、という会員からの意見があり(当たり前だ)、この案は結局つぶれた。

その後、世話人の間で、謝罪すべきかどうかという議論になる。7月3日に世話人会が設定されたが、その日が近づくにつれ、だんだん世話人会が謝罪の件で立場が割れ、分裂状態が色濃くなってきた。 ML議論は「裁判で忙しいから」「代表や原告が旅行中だから」、「世話人会で話し合うまで待て」などといった理由で、 中断させられることもあり、問題への対処は遅れに遅れることとなった。

当初はブログから問題エントリを削除することに対してすら異論がでていた。問題エントリを書いた人の許可が必要なのでは、とかいう理由だった。エントリーの内容自体を、深刻な問題があると捉えていないという背景もあるだろう。しかし、ブログにおいて問われるのは、その投稿を書いた人の責任ももちろんあるだろうが、編集権をもつ掲載者の責任が大きい。ブログエントリーは深刻な問題がある内容であり、裁判にもつれこむ可能性もないとは言いきれないことなどを指摘すると、ようやく削除に関しては反対者も折れることになった。そして、ブログに会としての謝罪を掲載し、別途桂さん個人に対しては丁寧な謝罪文を出すことが、7月3日に世話人会において決定された。(ちなみに、この会議は私はスカイプ経由で最後の30分くらいだけ参加したのだが、どうやら泣き出す人もいたりと、けっこうなカオス状態だったようだ。)

この会議において、有志をつのり、謝罪の件をすすめていく「謝罪チーム」が結成され、私もはいることとなった。 この「謝罪チーム」と、謝罪に反対する側の世話人との間で、会は分裂したことになる。

この決定が会員用MLに流れてすぐ、なんと会の副代表から異論がだされた。副代表は会議に出席していなかったのだ。すぐに「謝罪チーム」は反論し、桂さんにたいしての謝罪をすすめていった。これ以降の謝罪チームは、睡眠時間も削り、ほぼ24時間体制でパソコンの前にはりつき、情報交換や議論をしながら、桂さんとも連絡をとりながら、謝罪にむけて動いていくこととなる。 会がいつまでも対応をのばしてきたこともあり、状況は著しく悪化していた。

謝罪すべきではない、する必要はないと考えている人たちは、ブログ掲載の問題エントリは「言論の自由」の範疇であり、証人としてたったからには批判だって覚悟ずみのはずだ、その人の感じ方の問題である、こちらが会員投稿を勝手に削除するのはどうなのか、といった立場のようだった。そして、この会の会議はぐるぐるぐるぐると同じ議論の繰り返しになる傾向があるのだけれど、また問題エントリに書いてある内容に話がもどって「やっぱり○○を桂さんがしなかったのはおかしい」(とはいえ、相変わらず証拠は提示しない/できないのだが)「桂さんの立場だったらこうするべきだ」といった意見を繰り返す。「私がおかしいと思うんだからおかしいんだ、こうすべきだといったらこうすべきなのだ」というようなレベルだ。

ネットにおける人権侵害ということに、あまりに鈍感で真剣に考慮していないこと、また、視線がひたすら内向きなので、MLを投稿した人=ブログ管理者が掲載許可をとった人のブログエントリが削除されることによって傷つく(?)感情のほうを、人権を侵害されたとした人よりも優先して考えているのだろう。削除は「表現の自由を奪う行為だ」などとも主張していたが、メディアにおける性差別表現などを告発してきたはずの人たちなのだろうに、こういう場面で「表現の自由」を突然出してくるとは驚いた。

本来は、会員それぞれがブログをもち、各々の責任において法廷の感想なり、裁判に対する意見なり述べて行けばいいことなのだが、ファイトバックの会の場合、ブログを使う/使える人があまりに少ない。辛うじてMLだけは使い方をおぼえた人たちが投稿して、その投稿をブログに掲載するシステムになったことで、ブログに掲載されること=会の中で認められること、のようなステータスとして捉えられるようになっていったこともあるかもしれない。

しかし、皮肉なのは、ファイトバックの会のブログのアクセスはけっして多くはなかったこと。一日あたり、平均70〜100程度でしかなかった。これは私の個人ブログよりも少ない。数百人の会員をもつ会のブログとしては、相当に少ないアクセス数なのではないだろうか。そして、おそらくこのアクセス数のうちの大部分は、実は会員や支援者ではない可能性が高いのではないだろうか。

ブログへの謝罪文は掲載し、その後で会として丁寧な謝罪文を7月下旬に桂さんご本人にお渡しすることとなっていた。だが、結局これに関して会としての合意に至らず、謝罪チーム有志としての謝罪文となった。(7月の世話人会で決定していたにもかかわらず、である)。そして、7月17日は世話人たちに対して謝罪チームは任意参加として会議を呼びかけたが、謝罪チーム以外には一人しか来なかったし、その後7月23日に開催が決定されていたはずの世話人会は、「議題がない」という謎の理由により(謝罪問題は議題じゃないのだろうか)、代表名で一方的にキャンセルされたのだった。こうして、MLでの話しあいはできず、会議もいっこうに開かれない事態に陥った。この23日の会議は、会の分裂を避けるために非常に重要な場であったのはずなだが、中止されたことで失望して世話人を降りてしまった謝罪チームのメンバーもいた。この人は今まで世話人会において、とても中心的な役割を果たしてきた人なのだが「個人的な意見は別として、中立的な立場で会をまとめるのが代表の役目ではないか」と言い、ひどく憤慨し、世話人をやめたのだった。

それと同時に、7月下旬には、謝罪反対派によって秘密裏に「ニュー世話人会」MLが作られ、謝罪チームメンバー排除への方策の話し合いが開始されていたのだ。そして、fightback2.exblog.jpの新ブログは、8月9日にさとうしゅういちさんの「広島瀬戸内新聞」ブログで広報された。会のブログが乱立したことで、分裂が周知の事実となる。

結局、ニュー世話人会MLについて謝罪チームがとりあげたことで荒れに荒れた8月中旬の世話人会の場で、一度決まったはずの(そして実行されなかった)会としての丁寧な謝罪文の作成、および、ニュースレターへの謝罪文の掲載、旧ブログの検証作業を行うことがようやく決定された。だが、時すでに遅し。こんなにもめて、謝罪をしたくないとごねまくり、代表、副代表を含むニュー世話人会MLにおいて、世話人会のメンバーが「会としての謝罪しなくてラッキー」発言などをしている背景がある。こんな会が嫌々書いた可能性が高い謝罪文を受け取れ、というほうに無理があるだろう。

謝罪チームからの意見封じに「裁判で忙しいから」「裁判関係の仕事をまずは優先」という理由とともによく使われたのが、「この会の目的は裁判勝利にむけて結集して力をあわせ」云々という言葉。これもそのときに存在する矛盾をおさえつけて、ないかのごとくに無力化しようという言説だろう。しかし、肝心の裁判内容についての分析や議論は、一部会員をのぞいてはほとんどなされない会である、という矛盾もあるのだ。「支援すべきは桂さんではなく三井さん」「あくまでも三井さんを支援すべき」云々というのもあった。「三井さん」という個人を支援するのと、裁判の支援運動をするというのとは、ちょっと違うと思うのだが。タレントのファンクラブではないのだから。そして、もうひとつ目立った言説が、「真実の敵」理論である。つまり、「真実の敵はバックラッシュなのだから、それに対抗してまとまって闘おう」といった言い方だ。こういった、「真実の敵」理論も、批判や異論を封じ込め、多様な意見がでてくる空間自体をなくしていく作用があるのではないだろうか。

そもそも、ここでいう「バックラッシュ」って具体的に何なのか、「バックラッシュに対抗」って、具体的に何をすることなのかについて、言及されるわけでもない。「バックラッシュに対抗しよう」が単なるスローガンになってきており、「バックラッシュ」というのが具体性をそぎ落とした、歴史を超えた仮想敵と化しつつあるようにも思われる。これは何もファイトバックの会に関してのみならず、昨今の(主流)フェミニズム業界―例えば日本女性学会など−に関しても感じることである。「バックラッシュに対抗するために」という理由で、矛盾や異論を排除し、「連帯」を強いることで失っているものも多いのではないか。

しかし皮肉なことに、ファイトバックの会の場合、ニュー世話人会MLを作った事で分断を狙ったのは、実は表向きに「連帯」を叫んでいる側だったりもするのだ。