ファイトバックの会ブログ更新の背景と原告の責任問題
ずっとこれについて書くべきか、どうやって書くべきか考えてきたのだけれど、やはり変に中途半端に隠そうとしたり、会や原告を守ろうとしたりせず、私の目からみた事実をすべて書くことにした。そうではないとこの件がどうしてこんなにもめたのか、そして、会のブログがなぜああなってしまったのかの検証は不可能だとも思うからだ。なぜこんなに躊躇してしまったかというと、このブログ問題をしっかり検証するには、原告の責任問題に踏み込まないわけにはいかないからだ。裁判の支援をしていたときには、それだけは避けたい、それだけは隠しておこうと、謝罪チームのメンバーと必死に頑張ったときもあった。しかし、謝罪問題でこんなにももめてしまったこともあり、また私自身も今は会もやめたし、むしろこの問題を公開していくことで、似たような事態をファイトバックの会のみならず、他の運動体が起こすことの何らかの抑制になり、そして運動体とブログやネット利用についての議論のきっかけになればと思っている。
ファイトバックの会のブログは、名目上は「ファイトバックの会ウェブチーム」が更新するという、集団更新制度ということになっていた。ウェブチームには、HP更新担当、ブログ担当と、ML管理担当という役割があった。ウェブチームのメンバーは明かされず(会員すらほとんど知らなかったと思う)、何人いるのかも明らかにはしていなかった。外からみたら、グループをつくって集団で更新していたように見えた事だろう。いちおう、「ウェブチーム」というのは存在はしていた。でもその中には名目上だけウェブチーム員で、実際には何もしていなかった人たちも多かった。
ブログに関しては、ウェブチームの中でのブログ担当組織として、表向きには、「ブログチーム」というのがあったことにはなっていた。しかし、実質上、会のブログを更新していたのは、ブログ開設当初から閉鎖に至るまで、原告(現控訴人)だったのだ。時々、画像やリンクの修正などを他の「ブログチーム」員がするなどということもあったし、単純な連絡系エントリーについてはその人たちが更新したこともあったようだ。だが、実質上あのブログは、原告が一人で運営していたブログだった。
会のブログに掲載されていたエントリーは、裁判情報や、次回の法廷案内などのお知らせ系エントリー以外は、ほとんど会のMLからとったものだった。原告がブログに適したと判断したものを自分の判断でピックアップし、投稿主に連絡をとって掲載許可をとって、掲載していた。この連絡確認作業は、ML投稿の場合、稀にほかの人が担当した場合もあるらしいが、たいていの場合は原告が担当してきたようだ。そして、掲載許可をとる前の段階で、投稿の内容が原告によって改変されたり、タイトルが新たにつけられるなどの編集が行われる。その編集したものを、投稿者に送って確認してもらい、それを掲載するという方式である。ML投稿のほかにも、支援者が原告に個メールとして送ったメール、手紙やハガキなどの類いもブログには掲載された。基本的にML投稿と同様に、更新者である原告が目を通し、必要な場合は編集して、その後メールや手紙の主の許可をとって、掲載していた。
MLや個人メールから、ブログ原稿をピックアップしていたことで、本来は違う読者を想定して書いていたはずのMLや個人メールが、世界中のひとを読者に想定したブログに掲載されることになる。もともとブログ向けを意識して書かれた記事ではないわけだ。「誰がその記事の読者なのか」を意識せず(あるいは違った意識で)書かれたものが、ブログに掲載され、 ML/個人メールというメディアと、ブログというメディアの境界線がなくなってしまっていた状態だった。
MLに同じように投稿しても、ブログに取り上げられるものと取り上げられないものがでてくる。前のエントリでも書いたように、本来なら会員がそれぞれ自分でブログを立ち上げて、裁判の感想などを書いていくのが一番いいわけだが、ファイトバックの会の会員たちの多くは年齢的にも高めだったりして、あまりパソコンやネットに明るい人たちが多くなかった。ようやくML投稿だけは苦労の結果、なんとかできるようになった、という人たちが多かった。そうした中で、MLに投稿したもののうち、内容がよいと判断されればブログに掲載される、、というシステムになったことで、「ブログに掲載されるような投稿を」と考え、原告礼賛系、あるいは、裁判を絶対的に支持する内容の投稿がふえていったことは想像に難くない。そうでなければ、掲載されないのだから。また、世話人会の会議で投稿内容が決定され、執筆者が決まるといったことや、世話人用MLで依頼されてMLに投稿する、というパターンもあった。「こういう内容の投稿を会員用MLにしてほしい」と依頼されるのだ。そして、依頼されて投稿したものが、ブログ記事になっていくわけだ。こうなると、組織的やらせといってもいい世界である。
今回、謝罪をめぐる混乱があったため、会のブログ記事をしっかり見直す機会があった。そんな中で浮かび上がったのが、一見事務的な連絡のように見えるエントリー例えば一連の、次回の裁判前になると連日行われていた「カウントダウン」ーにおいても、ひじょうに偏った印象を高める記事になっていたことだ。例えば「証人はウソをつきませんと宣誓する」と連日のように書くことで、かえって「この証人はウソをつくのではないか」という印象を高めるといった具合だ。投稿した本人が意識していたのかどうかはわからないが、毎日のようにこの「宣誓」について同じことが繰り返し書かれることで、法廷にいく前から、支援者が証人の証言に対して否定的な印象を高めるような、いわば印象操作がなされていたような状態だった。
まあこれでも、自分のブログとして、責任をもって運営するのであればいい。だが、ファイトバックの会の場合、「ファイトバックの会ウェブチーム」という陰に隠れて、責任をとらなくてよい状況で、このようなエントリを連日アップしていたのだった。表向きの「匿名での集団更新」システムの限界がでてしまったともいえる。ハンドルでもいいから、誰がアップしたのかという責任の所在を明らかにすべきだったのだろう。
そして、ほかの人の投稿という形をとり、かつ匿名団体更新ということを隠れ蓑にして、平気でブログでの誹謗中傷ができる環境になってしまったのかもしれない。これは、更新する人にとっては、ひじょうに「安全」な空間(のつもり)だったかもしれない。だが、ほかの人間―とくに書かれる対象の人たち―にとっては、とてつもなく危険な空間となってしまった。
また、「ウェブチーム」という団体の印象を与える呼称を使っての更新を続けることで、団体としての意見であり、一枚岩で異論もなく、一方的にひとつの方向に邁進する印象を与えてきたのではないかとも思う。匿名性の結果、無責任体制のみならず、多様性がおさえつけられる空間をつくったともいえる。「フェミニストならこの裁判を支援するべきだ」「フェミニストならこの裁判の方向性に異議をとなえるべきではない」「フェミニストなら原告側の弁護団や原告の意見に疑問をもたず受け入れるべきだ」的な押しつけも出てくる。そして、その結果、「フェミニストなら被告側証人の証言にはすべて批判的であるべきだ」という方向にまでいってしまった。
こうやって、いわゆる「集団分極化」の極まったような内容のMLおよびブログができてしまった。それが、桂さん、およびほかの証人の方々への一連の誹謗中傷投稿につながってしまったと思う。
以上で述べたように、原告がMLや個人メールからブログに適切であると思う投稿をピックアップし、さらにそれに改変を加えて、ブログに掲載していったわけだ。そして、事務的なエントリのように見えるものでも、かなり自分の思いを投影させ、印象操作をするような展開になっている。要するに、あのブログの内容は、かなりの部分、原告自らが作っていったものであり、だからこそ、今回の桂さんに対するブログでの誹謗中傷の件に関しても、投稿を書いた人たち自身の責任ももちろんあるけれど、実際にブログの更新作業をしていた原告の責任は大きい。「匿名での集団更新」という表向の姿に隠れ、原告は今回の件に関して、「静観」という立場をとっているようだ。もちろん会としてこの体制をつくり、放置してしまったことも大きく(とくに、それを黙認してしまった世話人会、ウェブ/ブログチームの責任は大だろう。私自身も含んでのことだ)原告だけが悪いとはいわない。だが、少なくとも、原告が中立、静観でいられる立場では明らかにないはずだ。
長くなってしまったので、ここで一度切るが、次回エントリでも、会のブログ運営をめぐる問題について続けて考えてみようと思う。