事態の「静観」の無責任さと、ネット時代における弁護団ストラテジーへの疑問

今回の謝罪をめぐる会の混乱の件で、原告(控訴人)は、「弁護団に指示をうけているから、静観する」「この件は会のほうにいってくれ」と言ってきた。とくに事態が深刻化した7月頃から、こういう態度が目立ち、今となっては完全に「静観という指示」をたてに、表向きはこの件には関わっていない、関われないという態度を示している。実際、裏で会に指示を出しているのは常に原告であり続けた、、という現実もあり、それはニュー世話人会体制になってまったく変わっていないどころか、ますます強化されたように思われるふしがある。

この「静観」というストラテジーを本当に弁護団が一致して主張しているのか、弁護団の一部だけなのか、あるいは原告がそう主張しているだけなのかわからない面もあるが、もともと、会のブログでの誹謗中傷事件を引き起こした第一の責任者は、それらのエントリの大部分をアップしていた原告であるということは忘れてはならない。この件に関しては、実際に文章を書いた人や、それに対して何もせず/できずにいた人などの責任もあるとは思うが、会員のML投稿の中から特定のものを選び、編集し、タイトルをつけたり変更したりし、そして掲載していた原告の責任は重いはずである。

「静観」ということは、この自らの責任をとることを放棄していることだ。そして、人権問題を問題として、女性として「人格権」をたてて闘っている裁判で、男女共同参画センター「すてっぷ」のリーダーである、館長としてふさわしい人材であり、「バックラッシュ」ともリーダーとして毅然として闘ったと主張している原告が、自らが引き起こしたこのブログにおける、同じフェミニストである女性に対しての誹謗中傷の件については「静観」だとしてだんまりを決め込んでいるというのは、、裁判の主張自体の説得力がまるでないのではないか。そして、謝罪チームひとつ相手にリーダーとして、責任をもって、きちんと対処ができないようであっては、バックラッシュとどう対処するのか、謎だ。
この件に関して、弁護団のアドバイスである(と少なくとも原告が主張している)「静観」というのは、的外れだとしかいいようがない。

そして、もうひとつ、ずっと気になってきたのが、弁護団のストラテジーのまずさだ。
この裁判の弁護団は、マスコミ報道をふやすことにひどくこだわり、支援団体にもそのように伝えてきた。会の新聞投稿キャンペーンなどは、そういった弁護団の意見にこたえて行ったものであるともいえる。(このハガキキャンペーン自体、ネットで大々的に依頼するようなものではないと思う。このキャンペーンの頃はすでに会の活動から相当距離をおくようになっていた私は、このキャンペーンのやり方を知ったとき、唖然とした。ネットで大々的に宣伝なんかしたら、やらせバレバレだし、こういった背景がわかったら新聞社だって採用しづらいだろう。)
しかしながら、弁護団が、マスコミと同様、時にはそれ以上にパワフルとなりうる、ネットの威力について把握し、ストラテジーを組んでいたとは思えない。

以前のエントリでも書いたが、マスコミ報道の後のネットでのリアクションにも会はまったく無頓着だったし、弁護団の間に危機意識があったという話は聞こえてこない。そもそも、一審の裁判長の誹謗中傷が会のブログにあの頃たくさん掲載されていたのだが、それは把握していたのだろうかも謎である。
ブログについて、弁護団がしっかり成り行きを理解していたとは思えないのだ。マスコミ報道にこだわるなら、自分たちが弁護する裁判の支援者のサイトおよびブログだってたまには見ておくべきではないかと思う。(実際、私が会の一代目ブログを立ち上げたとき、当然弁護団のうちひとりくらいは、ブログをチェックし、まずい記述などは指摘してくれるものだと思っていたのだが、、、甘かった。それがないと知っていたら、ブログは立ち上げなかったと思う。)弁護士は多忙だ、時間がないとはいうが、このネット時代、もし自分たちのかかわる裁判の主張を広げることが裁判の目的の一つだと理解するなら、ネットの有効活用は重要なのではないか。ファイトバックの会の場合、ネットの有効活用という面では最悪の展開となったといえるだろう。そして、ネットを活用しているマスコミの記者も多い昨今、ネットでの失敗の影響力も大きいだろう。

また、法廷直後の交流会での弁護団の発言ーおそらく支援者の間だけで共有されると思っての発言?ーが、支援者による報告という形で、ネットに掲載され、不特定多数の人たちに読まれ、広がることまで想定して発言しているのだろうか。その場で支援者を盛り上げるため、過度に煽るような発言はしていなかったのか。

ここまで事態がおかしくなり、混乱した背景として、弁護団の責任も大きいだろうと私は思っている。そして、このファイトバック問題を超えて、裁判を闘う上でのメディア、ネット戦略という面で、この失敗が示唆する面も大きそうだ。