『社会運動の戸惑い』本発売のお知らせ&斉藤正美さんのヌエックに関するエントリ

Twitterにても第一弾のご案内(別名ステマw)を流しましたが、10月末発売予定で『社会運動の戸惑い――フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』という書籍を、斉藤正美さん、荻上チキさんと共著で出すことになりました。

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

ここ5年ほど筆者陣は、2002〜5年頃にピークを迎え、その後もしばらく続いたフェミニズムと草の根保守運動の係争、すなわちフェミニストに「バックラッシュ」と呼ばれた動きに関して、係争の起きた地のいくつかを訪れ、フィールド調査を行ってきました。タイトルにも表れているように、フェミニズム側、そして反フェミニズムの保守運動側(バックラッシュ側)双方に聞き取りを積み重ねてきました。要するに、フェミニストである筆者が、フェミニストのみならず、論争、批判の相手だった保守側の「バックラッシャー/バックラッシュ派」の調査を行い、それに基づいて書いた本です。

この本のプロジェクトはバックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?本、そしてキャンペーンブログでの議論の積み重ね等を通じて始まったようなものです。そんなわけで、「バックラッシュ」といわれた動きへの絡みとしても、そしてこの本ができるまでの経緯からしてもネットは大変重要。しばらく放置してしまっていた「フェミニズムの歴史と理論」ブログも更新していかねばと思っております。その第一弾ということで、早速斉藤正美さんが、ヌエックについて、新たに出た「国立女性教育会館の在り方検討会」の報告書から、ヌエックをめぐる問題について考える内容のエントリをアップしています。ぜひご覧ください。『社会運動の戸惑い』中でも、ヌエックの歴史と現在について詳細に検討した章を斉藤さんが執筆しています。

ヌエックが「戦略的推進機関として創設」される?!

この本をまとめながら(まだ作業は終わっていないw)、扱う時期的にも、ある意味内容的にも、以下の2冊の間をつなぐような本なのかもしれない、と思ったりしているところ。そのへんはまあ追々に。

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ファイトバックの会ブログの再公開への抗議

2012年7月3日付で、「館長雇止め・バックラッシュ裁判を支援する会」の開設から2008年までの過去のブログエントリが公開されたようです。

これに対して「フェミニズムとインターネット問題を考える」研究会の会員一同で、中止要請をブログ管理者宛に、2012年7月4日、メールにて送付しました。

中止要請は「フェミニズムとインターネット問題を考える」サイトにアップしましたのでご参照ください。

中止要請に簡潔に書いていますが、ファイトバックの会の過去のブログは、「フェミニズムとインターネット問題を考える」研究会で詳細に内容を検討し、誹謗中傷にあたる内容がひじょうに多かったという結果を得ています。

参考:

それにもかかわらず、裁判も終わった今さら公開するというのは、まったく理解できない行動です。

管理者の方には一刻も早く、公開をとりやめていただくことをお願いします。

キャンパス・ミスコン事業を行う企業担当者へのインタビュー

一橋大学でのミスコンに関するトラブルが話題になっているようです。
「一橋大の大学祭ミスコンでトラブル 性同一性障害の男子の参加拒否」
Togetter ミスコン男の娘出場騒動で一橋大学学園祭委員に対し公開質問状提出 まとめ

このニュースに関して、Twitterで小宮友根(@froots)さんが以下のツイートをしていらっしゃいました。

そこで思い出したので、昨年のこの時期ICUのミスコン問題が起きていた頃に、ミスコン関連企業の方に電話インタビューを行った内容をまとめたものを掲載します。今回の一橋のミスコンに関連する企業とは別の企業になりますが、同じ業界ということで、現在の多くのキャンパス・ミスコン開催の背後にいる企業側の視点の一例としては参考になるかもしれません。

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2011年7月5日朝10時頃。A社本社あてに、前日に続いて電話。前日は担当者不在といわれ、かけなおすというやりとりがあったが、この日も同じ男性がでた。
ミスキャンパスコンテストのご担当者の方に話しがききたいとまた言ったところ、今日も朝から出ているのでいつ帰ってくるかわからないと。何を聞きたいのかわからないが、「私の知識」で対応できる範囲のことならする、とこの男性にいわれた。

私が現在、A社本社近所に滞在中なので、広報資料などいただけて、その際にお話伺えるならすぐ対応できるのでお願いできないかと聞いてみたところ、電話でなら対応するという。今でもいいんですか?と聞いたらいいというので、急遽電話取材モードに。

フェミニズム系の研究者で、ミスコンの歴史や現状について調査している。今現在大学におけるミスコンが注目を集め、議論もよんでいるようなので、その現状や歴史などについて知りたいという旨のことをいうと、その程度なら対応できるとこの男性。この方はA社の「代表」だということだった。(いったい「外にでている担当者」は実在するのかどうか、この時点で興味がわいた。)

ミスキャンパスコンテストはA社が主催しているのではなく、大学の学生たちが行い、A社はそれを取材するという立場である。なので主催という観点からは話できない。学生たちが候補者を選び実行するものであり、実務的にサイトをつくるなどの手助けはする、そういう立場。去年は19大学にて行われた。その取材をするのがA社という位置付けである。

「ミスキャンパス」は登録商標で、代表者個人の名前で登録している。商標として登録したのは、「ミスキャンパス」という名称が風俗系のタイトルやらビラなどで使われるのを防ぐため。風俗系で使われるとイメージが損なわれるから、商標登録してそれを防いだ。
「ミスターキャンパス」については商標化していないが、これは風俗において使われる可能性が低いと思うからだ。

「ミスキャンパス」が大学におけるかわいこちゃんコンテストではいけないので、我々はたとえば今年は、アジアの友好親善の一翼を担う親善大使としての活動などの可能性も模索している。エコ活動ももうひとつの社会貢献の可能性。意義ある活動をしてほしい、おしつけがましいかもしれないが、友好親善活動的なものにつながればと考えている。

学生のやりたいという思いがあり、そこに企業としては事業として成り立つかどうかという視点も必要になる。賛同した大学には主体性をもって運営していただいている。

イベントで選ばれた人たちについては、ウェブや雑誌に掲載したり、テレビ番組化などをしたりする。ほかの企業からイベントの協賛もつのり、ビジネス上の展開をしている。A社の役割は情報として提供すること。コンテストのビジネス性はどうかを考えざるを得ない面はある。

立命館あたりは着物を着せたりしているようだが、と聞いてみたら、多くの大学はウェディングドレスを着せたりしている。ほかの企業の一部協賛をとったりすることでこれは成り立つし、学生たちが地元の着物関連の企業などのスポンサーをつのったり、先輩のつてをたどって探したりなどの活動をしている。ウェディングドレスはメーカーが広告の場として提供している。

ミスキャンパスコンテストはA社としては「コンテンツのひとつ」として考えている。はじまりは2006年から。アクセス数は始めたときからあまりかわっていないが、「キャンパスナビ」の中では人気コンテンツ。

ミスターキャンパスはやっている大学自体も少ないし、ビジネスとして広告スポンサーもつけづらく、事業性が乏しい。なのでA社はとくにかかわっていない。

たとえばトランスジェンダー性同一性障害のひとがミスキャンパスに出たらどうなのか、ときいてみたら、性同一性障害の方が出た場合、あくまでも大学生主体のコンテストで、イベント運営しているのも学生なので、事業としてそれがまずいということはいわない。あくまでもうちの立場は情報として提供するということ。しかしながら、コンテストのビジネス性はどうかという点は、たとえばコンテスト出場者全員が性同一性障害の方々というようになった際、考えざるを得ない面もある。(しかしA社の人の話を聞く限り、「ミスキャンパス」には「女性」および「最大限譲歩して」性同一性障害の女性はなれるが、コンテスト全体の出場者からしたらマイノリティである必要があるっぽい。そしてそれ以外は念頭にはないという印象をもった。要するにICUでのミスキャンパスにもしA社が絡むとしたら、やはり基本的には「女性」しか対象とならないだろう、ということだ。)

国際基督教大学が今年から「ミスキャンパス」をはじめるという話をきいたがどうなのか、という質問に対して、「それは知らなかった」という答え。(直接の担当者ならわかるのか否かは謎)。商標登録しているのに、ほかの大学で「ミスキャンパス」を行ってもいいと考えているのかと聞くと、ミスキャンパスというのは一般呼称でもあるので、A社がこだわるのはビジネスとして、とくに風俗系ビジネスで使用されるときだ。ネガティブイメージができるから、とのこと。たとえば東大でミスキャンパスコンテストがあり、それを商標違反だとこだわってもおかしいし、する気はない。ICUの件は知らなかったというのは2度ほど言っていた。

ミスキャンパスコンテストへの抗議は聞いたことがない。そもそもそういう土壌がある大学ではミスキャンパスは行われていない。大学が公式に認めた、公式行事としてやっているケースが多い。そうなると抗議は発生しづらい。

関西においてミスキャンパスが最近いくつかの大学で開催されるようになった背景について。最初は関西学院同志社で始まった。関西の大学には東京への対抗心が強く、東大や慶応などの有名校でミスキャンパスが行われ、脚光をあびている。そんな中で、有志の人たちがやりたいとなった。東京に負けたくないという思いが強いのだろう。
その後立命館と関大でも始まった。立命館でキャンパス外で行われたのは、最初だし公式行事としての認定が得られていないという状況がある。実績がないと公式行事として認められないという状況があるようだ。
京都大学については、行うような土壌がない。左翼の思想が強い大学であり、反発が強かったようだ。
立命も左翼系じゃないですか」と私がきいたら、以前はそうだったろうが、今は同志社立命が並んでいるみたいな個人的印象もあり、左翼的な思想はかなり薄まったはず。大学側のマーケティング努力もあるのだろう。(明らかに左翼思想が苦手な雰囲気が電話からかもし出されていた。)
反発の土壌という面ではICUもそうじゃないですか?ときいたら「ああキリスト教だからそうかもしれないですねえ」とのお答え。ICUジェンダー研究系背景についてはご存知ない様子。

有志がやったという点では、同志社立命も同じようなケース。このあたりの学生たちには、ミスキャンパスがジェンダー問題であるという意識がない。もりあがりのイベントのひとつとして考えており、注目あびやすいから開催する。実際あびているケースが多い。アナウンサーの登竜門的に使われているのは都内有名大学などの一部の大学だけで、ほとんどの大学ではそういう状況ではない。アナウンサーというのは志望動機のひとつではあるだろうが、もうひとつ質がいい目立ちたがりやみたいな側面がある。そして目的意識をもつタイプもいる。アナウンサーもあるが、就職難の状況の中で、CAなど人気職業へのステップとして考えている人も多い。ほかには学生時代の思い出として出るタイプもいる。
実行委員会にはいる学生たちの就職には影響しない。学生を採用する企業として、こういうイベント企画は評価がまちまちだろう。だが、注目をあびやすく、集客力があるイベントとしてやりがいを感じているようだ。
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最後にこの代表の方のメアドを伺うついでに、代表のお仕事をいつからやっているのか聞いたが、今年から始めたのでまだ数ヶ月との答え。
しかし代表自ら2日連続で電話に出ていること、「担当者」がいつも「外出中」のようであることなどから、このオフィスには果たして本当に彼の部下はいるのだろうか、とはちょっと思った。

ちなみに、この会社は昨年私が日本に滞在していたときの滞在先から徒歩10分もかからないところだったので、散歩がてらにどんな会社なのかなーと見にいってみたら、あのエリアの中でも目立って古い住居用マンションの一室だった。大手町にもオフィスがあるようなので、もしかしたらそちらは立派なのかもしれないが、このオフィスはオシャレな若者相手のネット系商売している企業の本社には見えない雰囲気。実際あのオフィスで働いているのも1−2人がせいぜいかも、というような外観だった。

三井マリ子・浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄』に関してひっかかったこと

三井マリ子浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄 フェミニスト館長解雇事件』(旬報社 2012年)。裁判の際の陳述書がもとになったという三井マリ子氏の記述、弁護士2名(寺沢勝子弁護士・宮地光子弁護士)によるエッセイ、浅倉むつ子氏が裁判所に提出した意見書による書籍である。書籍のうち、三井氏による1章が全体の三分の二以上を占めている。

裁判闘争だったということで、書類などの証拠に基づいた論理展開をつくる必要があり、その面で具体性をもつのはこの本の強みではあるだろう。だが、全体的に、表現上の印象操作的なことが多く行われすぎており、そのぶんせっかくの具体性という強みが弱まっているようにも思われる。そして、『バックラッシュの生贄』という書籍タイトルからもわかるように「バックラッシュ」に焦点があたり、もともとの争点だったはずの「雇止め」のほうへの言及が少なくなってしまったのは残念だった。

この本については、すでに遠山日出也氏が詳細な内容の紹介および書評を書いているので、具体的な内容の紹介はそちらをご参照いただきたい。このエントリでは遠山氏の書評も参照し、書籍に加え、6月1日に行われた「『バックラッシュ』を跳ね返して、新しい時代へ」院内集会の動画この集会の案内はこちら)についても多少言及しつつ、以下、いくつかの点について、私がひっかかったことを挙げていきたい。


1)実名を出していることについて

三井マリ子氏の執筆部分に関しては、実名てんこもりである。実名だしについて許可をとっていないだろうと推測される方々のお名前もたくさんでてくる。さらには、必ずしも必要がないだろうと思われる人たちの実名まで書いてある。このように、おそらく許可なく実名を出し、しかも公人のみならず一般市民に対しても行っていることは、かなり人権への配慮を欠いている行為なのではないかと非常に気になっている。

この書籍の実名だしの問題として、まずは出てくる方々の実名が、どこでどうやって知り得た情報なのか(行政のセンターの館長としての職務上知り得た情報なのか)の問題がある。市/財団に雇用された館長として知り得た情報なのだとしたら、それを不特定多数に対して、許可もとらずに後日公開するということはどうなのか。さらには、裁判文書としては実名が必要になるのだろうが、それと単行本は目的が異なっている。書籍として一般に知らしめる文章としてみた場合、実名出しに関する判断も変わってくるのではないか。裁判文書は公文書であるとはいえ、広がりという面では限界がある反面、書籍は広く一般にむけて公開するものであり、書籍において実名(しかも裁判上の被告でもない人たちの実名)が本当に必要な情報であるのかにも疑問が残る。さらには、先日、ネット中継された院内集会でも実名を出されていた市民がいたが、ネットという書籍以上に不特定多数にむけているともいえるネットメディアでの、当事者の許可なしでの実名出しはどうなのかの問題もあるだろう。

三井氏に質問および面会があると夜の会合に臨んだ3人の市民(p.22)についてだが、どのような政治的立場の人たちであろうとも、市民が公的施設であるセンターの館長に質問および面会があるといってアポをとってきたということなので、この方々のお名前を了解もとりつけていない状況の中で出す必要はないだろうし、まずいと思う。逆にフェミニズムや左派側の市民らが例えばセンターのやり方に意見があって館長に面会を申し入れて会うということもありうるわけで、それが後日このようにいきなり許可もなく書籍に実名いりで批判的に書かれても良いということになってしまう。

遠山さんのエントリで言及されている、貸室申し込みにきた人たちについても(これはすてっぷに勤務していたからこそ知り得た、市民の個人情報といえるのではないか)、私的に連絡をしてきた女性労働団体の事務局の方についても、お名前を出す必要は、私もまったくないと思う。

さらには、「バックラッシュ派」だとされた人物の親族であるというだけで、この件に関しての関わりがない方までもがお名前を出され、ご本人に確認もできていないだろう中、想像に基づく肩書きがだされているのも問題だ。「個人」単位を尊重するフェミニズムとそもそもずれた方向性ではないだろうか。


2)「形容の仕方」に関して

遠山さんが言語表現について実例を具体的にあげて言及されているが、同感だ。
行政側の人や「バックラッシュ勢力」など、原告と対立する立場にたったとされた人たちの「形容の仕方」に相当に脚色がはいっているように感じた。こういったアジり調の形容はファイトバックのブログでも強くみられたパターンだが、それがそのまま書籍に書かれている感じをうける。アジることで、印象操作となってしまい、「煽り」につながり、人権侵害を起こしやすくなったというのが、ファイトバックの会のブログでの展開だった。(ファイトバックの会のブログをめぐる問題に関しては、斉藤正美さんの「ブログにおける煽りと誹謗中傷への展開」を参照。)書籍においても、文章表現に著者の「感情」が表にですぎて、読むのが辛いものがあった。淡々と事実を書いたほうがよほど説得力があったように思う。

例えばp.110「”この嘘つき野郎ども”と申し上げましょう」、そしてその後に続く「これは私の推理ですが、、」という文など、まず悪い印象を与えておいて、単なる「推理」に基づいたことを言うなどだ。

さらには、遠山さんも挙げているが、すてっぷの元事務局長に関して、「今こうして人権文化部の企てに忠実に従ったY[原文は実名]のことを書いていると、かのルドルフ・アイヒマンが脳裏に浮かびます。ナチ親衛隊中間管理職として、百万単位のユダヤ人をせっせとアウシュビッツなどの絶滅収容所に送った、あのアイヒマン中佐です」と記述していることがある(p.138)。
仕事が倫理的にまずかったということを主張したいのなら、事実を淡々と並べればよいことなのに、全然違う事柄を並べて関連づけてしまっている。ここまで言ってしまうのは、元事務局長の人権侵害ともいえないだろうか。
バックラッシュ」を「ファシズム」と、出版記念集会の宣伝などでも呼び続けているようだが、これも逆効果なのではないかと思う。


3)記述内容のソース問題

三井氏記述部分には、又聞きに基づいた記述が含まれているのも疑問だ。例えば議員が刃物を出して脅したこともある(p.24)は又聞きの事柄である。これが裁判書面として提出されたことにも私は違和感をもっていたのだが、ここでもそのまま掲載されている。


4)バックラッシュの捉え方について

日本会議」が司令塔で、バックラッシュは組織的な動きである、というのが、書籍中では三井氏、浅倉氏によっても、さらに先日の院内集会では紀藤弁護士によっても、繰り返されていた。私自身も同裁判への意見書やその他の出版物で全国的な動きということを過度に強調してしまったと今振り返れば思うので、反省しなくてはいけない点でもある。そして、これはおそらく女性学ジェンダー研究界隈で中心的な見方でもあった。さらにはこの裁判は裁判戦略上「組織的」動きというのを強調したいという狙いがあったためもあるだろう。

だが、浅倉氏にしろ、紀藤氏にしろ、どういう具体的な事実やデータに基づいてこういうご発言をされているのかはわからないままである。浅倉氏の意見書についても日本会議が中心で司令塔的役割を果たしたという趣旨のことを述べている。*1 だが、ソースも示さず、具体的にどのような事実に基づいて、「バックラッシュ」が「組織的」であり「司令塔」だといっているのかは見えない。過度に「司令塔」だと強調することの問題は大きいと思う。逆に保守の草の根的な動きやつながりが見えなくなるなどもあるだろう。

さらに、複数団体名を名乗っていることが謎に満ちたことであり、だから組織的なのだという主張なのかと思われる記述もあったが、これはフェミニズム系団体もよくやるように、要するにシングルイシューで運動体を複数つくっているというパターンでもある。同じ人が複数団体に関わるというのも、市民運動ではよくあることでもある。それをもって「いくつもの顔をもつ」「組織的」とするのなら、複数団体に属しているフェミニズム側も同じ表現で批判されうることになってしまう。


5)「あとがき」での記述と支援者の位置付け

前館長をめぐる記述は、おさえめではあるが、決してポジティブではなく、否定的な印象を与えるという遠山さんの視点には同感である。
そして、原告自身や自分の裁判の支援団体が前館長にネットを通じて誹謗中傷を行ってしまったことへの言及や反省は書籍にはまったくなかった。

「一審敗訴後に去った人も少なからずいましたが、そんな逆風にもめげず(……)」(p.222)と、今でも「逆風」扱いのままにしているということには、落胆した。私も一審判決後(厳密には二審の途中)に去ったが、それは会が引き起した前館長へのネット上の誹謗中傷問題への、原告および会の対応にあまりに問題が多く、さらには裁判の主張になっていた「人格権」と根本的に矛盾すると考えたからだ。

不思議だったのは、普通フェミニズム系の裁判闘争の報告という性格の書籍には、裁判支援団体関係者も執筆したりすることがよくあると思うのだが、原告、意見書を書いた学者、および弁護団から2名が書くにとどまり、支援者は執筆していない。なぜそうしたのかはわからないが、この裁判における支援者の位置付けや、弁護団や学者と支援者の権力関係が、この執筆者の選択に表れているようにも思えてしまう。

裁判においては、支援者が、傍聴の人数、お祭り的なイベントを開催して盛り上げる役を期待され、原告個人の「苦難」が強調され、それへの支援運動になってしまったような側面があったと思う。裁判自体の内容について理解したり、積極的に関わることは期待されておらず、支援者は原告や弁護団、学者に「教えていただく」役割にとどまってしまい、より広い問題として世に問うとか、議論を巻き起こすという方向性につながりづらかった。


6)「特別な人たちの裁判」という印象と「雇止め」問題

宮地弁護士による文章は「私にとって三井マリ子さんは、長い間、マスコミ報道や書物を通じてしか知ることができない著名なフェミニストでした」という一文から始まっている(p.167)。そして、三井マリ子氏は弁護団のことを「超豪華弁護団」と書く(p.221)。お互いの達成を評価したいという気持ちから出てもいる言葉なのだろうが、これでは「著名なフェミニスト」と「超豪華弁護団」による特殊な事件という印象を与えてしまう。さらに、この書籍のタイトルが『バックラッシュの生贄』であること、書籍全体が「バックラッシュ」に焦点をあてたため、雇止め問題が見えづらくなってしまったことも加わり、男女共同参画センター等への非常勤労働問題をはじめとした、多くの人たちに関わる他の雇止めを巡る問題などへの広がりをもちづらいという問題もあるだろう。


7)地域と男女共同参画フェミニズム

遠山さんのエントリに書かれたことと私自身の解釈と若干違うかもしれないと思ったのが、三井さんの館長としての仕事への評価に関してだ。これは裁判書面からそうだったが、また書籍の形で読んでみて、どうしてもひっかかるのが、「館長として行った意義ある仕事」としてリストされているのが、英語講座、ノルウェーから人をよんだこと、ヨーロッパのポスター展などの「海外のすすんだ情報を紹介する」系統がひじょうに多かったことだった。ここで見えないのが、豊中市民のニーズはどこに?という点だ。裁判支援にまわった一部の人たちでなく、市内に住む多くの人たちのニーズをどれだけ発掘しようとされてきたのかどうか。そこが見えてきづらかった。これはこの事例に限らず、地域住民のニーズなどよりも、上からの啓発に流れてきてしまった男女共同参画行政そのものの問題点でもあるのかもしれない。


参考:

「『バックラッシュ』を跳ね返して、新しい時代へ」集会動画(全部で4本あったが期間限定公開ということでもあり、現段階で全部は見つけられず。)
http://www.ustream.tv/recorded/22997698
http://www.ustream.tv/recorded/22997705
http://www.ustream.tv/recorded/22998207

*1:「全国組織を背景としており(一九九七年に創立された「日本会議」が中心)、ねらいを定めた地方自治体において...」(p.182)と浅倉氏は記述している。この部分6/10/2012加筆

遠山日出也さんの書評:三井マリ子・浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄』

遠山日出也さんが三井マリ子浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄』について詳細な書評をブログに書かれています。
書評:三井マリ子・浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄』

遠山日出也さんによるWAN労働争議問題まとめサイト

遠山日出也さんが、ブログにWAN争議の問題点をまとめ、労働問題のみならずサイト自体の問題などにまで踏み込んだエントリをアップされています。

WAN争議が提起した課題と現在のWANの問題点

また、WAN争議の流れや関連エントリへのリンクをまとめたサイトも作られています。

ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の労働争議・まとめ

WANのみならず、フェミニズムその他の市民運動団体における労働問題にも踏み込んだ内容となっています。ぜひご覧下さい。

「国際基督教大学(ICU)におけるミスコン開催中止をうけての共同声明」

ミスコン企画の主催団体から、ミスコン開催を中止するという声明が出たのに対し、「ICUのミスコン企画に反対する会」有志による共同声明を出しましたのでお知らせします。

国際基督教大学(ICU)におけるミスコン開催中止をうけての共同声明