再度の要望書への返事はなかった

きろろさんの「ファイトバックの会を考える」ブログですでに報告されているが、11月29日付けに出した再度の謝罪要求書への返事はこなかった。予想通りの展開である。こうやって、説明責任を果たさないまま、ニュー世話人会MLの件はうやむやにすませるつもりなのだろう。

当ブログ、12月16日エントリのコメント欄に、「はじめまして」さんが、以下のような会のメルマガ掲載の代表名での文書を書き込んでいる。

今年は残念ながらメーリングリストやブログ閉鎖にまで到ったWeb上での会員間の対立がありました。ことの発端は、某会員が、ある人のメールの転送だとして、ファイトバックの会にメールを流してきたことから始まりました。ある人からの直接の声のないまま事態は広がりましたが、幸いにも弁護団の助言やファイトバックの会の応援に、シスターフッドのありがたさが身に滲みた年はありませんでした。今、振り返って思うことは、自分の伝えたいことは他人を介さず、直接キッチリ相手に誠実に伝えること、これこそが成熟した大人の守るべき基本姿勢だということです。

「自分の伝えたいことは他人を介さず、直接キッチリ相手に誠実に伝えること、これこそが成熟したい大人の守るべき基本姿勢」とのことだが、これはまるまる、今回謝罪チームへからの「直接キッチリ相手に伝える」手紙を無視した姿勢と矛盾するし、そっくりそのまま代表を含むニュー世話人たちにこそ向けられる批判だと思う。そして、このようにぼやかした形で、「直接キッチリ誠実に」とほど遠い形の文書を、その批判先の当人にではなく、会員にむけて出すというのもおかしなことだ。

これが「シスターフッド」とは、「シスターフッド」とやらも落ちたものだ。もともと「女性間の差異、権力差」への視点が弱い言葉ではあるものの、ここまで差異を認めず、自らばかりが正しいとごり押しし、異論をおさえつけることが「シスターフッド」というのはいくら何でもとんでもなさすぎる。

事態の「静観」の無責任さと、ネット時代における弁護団ストラテジーへの疑問

今回の謝罪をめぐる会の混乱の件で、原告(控訴人)は、「弁護団に指示をうけているから、静観する」「この件は会のほうにいってくれ」と言ってきた。とくに事態が深刻化した7月頃から、こういう態度が目立ち、今となっては完全に「静観という指示」をたてに、表向きはこの件には関わっていない、関われないという態度を示している。実際、裏で会に指示を出しているのは常に原告であり続けた、、という現実もあり、それはニュー世話人会体制になってまったく変わっていないどころか、ますます強化されたように思われるふしがある。

この「静観」というストラテジーを本当に弁護団が一致して主張しているのか、弁護団の一部だけなのか、あるいは原告がそう主張しているだけなのかわからない面もあるが、もともと、会のブログでの誹謗中傷事件を引き起こした第一の責任者は、それらのエントリの大部分をアップしていた原告であるということは忘れてはならない。この件に関しては、実際に文章を書いた人や、それに対して何もせず/できずにいた人などの責任もあるとは思うが、会員のML投稿の中から特定のものを選び、編集し、タイトルをつけたり変更したりし、そして掲載していた原告の責任は重いはずである。

「静観」ということは、この自らの責任をとることを放棄していることだ。そして、人権問題を問題として、女性として「人格権」をたてて闘っている裁判で、男女共同参画センター「すてっぷ」のリーダーである、館長としてふさわしい人材であり、「バックラッシュ」ともリーダーとして毅然として闘ったと主張している原告が、自らが引き起こしたこのブログにおける、同じフェミニストである女性に対しての誹謗中傷の件については「静観」だとしてだんまりを決め込んでいるというのは、、裁判の主張自体の説得力がまるでないのではないか。そして、謝罪チームひとつ相手にリーダーとして、責任をもって、きちんと対処ができないようであっては、バックラッシュとどう対処するのか、謎だ。
この件に関して、弁護団のアドバイスである(と少なくとも原告が主張している)「静観」というのは、的外れだとしかいいようがない。

そして、もうひとつ、ずっと気になってきたのが、弁護団のストラテジーのまずさだ。
この裁判の弁護団は、マスコミ報道をふやすことにひどくこだわり、支援団体にもそのように伝えてきた。会の新聞投稿キャンペーンなどは、そういった弁護団の意見にこたえて行ったものであるともいえる。(このハガキキャンペーン自体、ネットで大々的に依頼するようなものではないと思う。このキャンペーンの頃はすでに会の活動から相当距離をおくようになっていた私は、このキャンペーンのやり方を知ったとき、唖然とした。ネットで大々的に宣伝なんかしたら、やらせバレバレだし、こういった背景がわかったら新聞社だって採用しづらいだろう。)
しかしながら、弁護団が、マスコミと同様、時にはそれ以上にパワフルとなりうる、ネットの威力について把握し、ストラテジーを組んでいたとは思えない。

以前のエントリでも書いたが、マスコミ報道の後のネットでのリアクションにも会はまったく無頓着だったし、弁護団の間に危機意識があったという話は聞こえてこない。そもそも、一審の裁判長の誹謗中傷が会のブログにあの頃たくさん掲載されていたのだが、それは把握していたのだろうかも謎である。
ブログについて、弁護団がしっかり成り行きを理解していたとは思えないのだ。マスコミ報道にこだわるなら、自分たちが弁護する裁判の支援者のサイトおよびブログだってたまには見ておくべきではないかと思う。(実際、私が会の一代目ブログを立ち上げたとき、当然弁護団のうちひとりくらいは、ブログをチェックし、まずい記述などは指摘してくれるものだと思っていたのだが、、、甘かった。それがないと知っていたら、ブログは立ち上げなかったと思う。)弁護士は多忙だ、時間がないとはいうが、このネット時代、もし自分たちのかかわる裁判の主張を広げることが裁判の目的の一つだと理解するなら、ネットの有効活用は重要なのではないか。ファイトバックの会の場合、ネットの有効活用という面では最悪の展開となったといえるだろう。そして、ネットを活用しているマスコミの記者も多い昨今、ネットでの失敗の影響力も大きいだろう。

また、法廷直後の交流会での弁護団の発言ーおそらく支援者の間だけで共有されると思っての発言?ーが、支援者による報告という形で、ネットに掲載され、不特定多数の人たちに読まれ、広がることまで想定して発言しているのだろうか。その場で支援者を盛り上げるため、過度に煽るような発言はしていなかったのか。

ここまで事態がおかしくなり、混乱した背景として、弁護団の責任も大きいだろうと私は思っている。そして、このファイトバック問題を超えて、裁判を闘う上でのメディア、ネット戦略という面で、この失敗が示唆する面も大きそうだ。

会の三代目ブログが登場

一代目ブログは削除の後、同じURL確保、二代目ブログ醜態をネット上でみせた後、「メモ帳」と化して非公開設定、、と混乱していたファイトバックの会のブログだが、どうやら三代目ができたようだ。
http://blog.goo.ne.jp/fightback_2008

世話人会の決定だったはずの、次のブログをあける前に以前のブログの検証作業を行うということもされてはいないようだ。ようやくexciteをやめてgooになったところは違うけれど。

いちおう、最初のエントリを書いた人の名前が「ふじ」とは載っているのか。しかしながら、別IDをつかうシステムのブログでもないし、今までのブログにも、他人の投稿という形をとりながら、相当の編集が加えられていたという経緯がある。今度はどうなるのやら。

しかし、gooもインポート機能はできたみたいだが(いまいちだというブロガーの評判も掲載されていたが)エキスポートはないし、、これだけ引っ越しにつぐ引っ越しを行っているのだから、そのへんも考慮すればいいのに、、といまや人ごとながら思ってしまうのだった。また手作業引っ越しになることもありうるぞ。ブログはじめて何年もたっているのだし、もうちょっと機能充実したサービス選べばいいのになあ。

まあそんなことは人ごとだしどうでもいいから置いておいて、なんの反省もないままつくられたこの三代目ブログが、今後どういう経過をたどるのか、大注目である。

会のニュース記事からバレバレの謝罪の気持ちの欠落と人権意識の欠如

ファイトバックの会ニュース9号が、会のHPに掲載された。

桂さんへの謝罪文が掲載されている号で、印刷版が送付されたときに、謝罪文内容は遠山日出也さんのブログで紹介された。その掲載謝罪文から、重要だった「事実誤認」の言葉が削除され、「心情を傷つける不適切な表現」という言葉にすりかえられたことで、骨抜きになったということは、当ブログの11月16日付エントリ「やはり骨抜きになっていたニュース掲載謝罪文」でもとりあげた。

そのときはニュース掲載謝罪文のことしかわからなかったが、今回HPに掲載されたニュースをみてみたところ、、あまりのひどさに驚いた。
会員からの「応援メッセージ」として、以下のような文章が掲載されているのだ。

F.K. (芦屋市)
 弁護団の皆さま、浅倉先生はじめ学識者の方々、スタッフの皆様方のご努力に感謝です。せめて傍聴には参加させていただきます。(以下余分ながら)桂さんをめぐる会の膨大なエネルギーの消費に心を痛めています。 贔屓のひき倒しのようなのが、それで納まらなくなって・・・・。必要な過程だったのかも知れませんが。雨降って地固まることを願っています。

よりによって謝罪文を掲載している号で、こんなの載せるなよ、、と唖然。
「桂さんをめぐる会の膨大なエネルギーの消費」って、、、桂さんはブログにおける誹謗中傷を会に指摘しただけ。すんなり謝るべき事項を、うだうだといつまでも謝らず、ここまでもめさせたのは会の責任だ。いかにも桂さんの件が「災害」でもあろうかというような表現だが、このごたごたはすべて、会(とくに世話人会、というか、ニュー世話人会だな)が原因となっていることだ。
「贔屓の引き倒し」というのも意味不明だが、、あまりにひどい文章である。

会員に送付されたニュースでは、「応援メッセージ」を書いた人たちはイニシャルではなく、名前で記載されているということだ。なぜこれがHP版でイニシャルになったのかわからないのだが、このF.K.さんという人は、どこまでこの事態の状況をご理解されているのかも不明だけれど、こんな文章を800人の会員に送付され、HPにも掲載される媒体に書くつもりで書いたのだろうか。(これらのメッセージは、傍聴出欠はがきのメッセージからの抜粋ということだが。)

そして、このF.K.さんの文章をあえて掲載したニュース編集委員の責任がもっとも問われるところだろう。
編集長は木村民子副代表だとニュースに名前が明記されていることから、ニュース内容の責任をとる覚悟はできておられると判断する。
謝罪号の同一紙面にこんな「応援メッセージ」を載せたら、謝罪の意味がまったくなくなることがわかってないのだろうか。
謝罪の気持ちがまったくなく、「謝罪文」はあくまでやむをえず載せてみただけ(しかも、紙面の最後に掲載しているのもよくない。)本当に言いたいことは、こちらの「応援メッセージ」のほうなのではないか、、と思うではないか。

「他人の意見の紹介」という形を使い、様々な誹謗中傷が行われてきたファイトバックの会のブログの手法とも、これではまったく同じである。
この手法の問題性を、まったく検証し、反省していないことがみてとれる。

そして、従来のニュース編集プロセスをみる限り、「編集長」という人がいちおういることはいるが、原稿最終確認は、常に原告だった。今回はどうなのだろうか。原告がずっと使ってきた「人の意見を選択的に(ときには編集もしつつ)載せることで自分の言いたいこと(本音?)を伝える」という手法を、このニュースは使っているのだ。

そして、このニュースの発行責任は世話人会にもあるのだから、ファイトバックの会世話人会、および、上田美江代表の責任も問われるだろう。

もう一つ掲載されていた「投稿」の中で気になったものがある。

浅倉意見書を読んで 3
人権侵害にたいして保証金は当然

 本当にすばらしい理路整然とした意見書でした。
 物事の核心を突いているとはこういうことを言うのだと思いました。K議員のやくざ的な脅しを、この意見書で初めて知りました。
  三井さんは さぞかし恐ろしかったと思います。役人は特に脅しに弱く事なかれ主義に傾き、三井さんの首を切っ た事情がよくわかりました。市長の正義に対する弱腰が、重大な過ちを犯したのです。人権侵害に対して保証金を支払うのは当然です。
(議員名はイニシャルに変更した)
谷岡文香

この投稿は、書いた人の名前つきでHPに掲載されていることから、当ブログ記事でもしっかり名前まで引用させていただいた。

この投稿だが、「やくざ的な脅し」というのは、主観的な誹謗中傷にあたりかねない表現ではないのか。このように主張するなら、浅倉意見書のどこを具体的に読んだ結果、どういう事実に基づいてこういう感想を抱くようになったかということを、せめて論証くらいすべきだろう。
しかも、K議員は今の時点で議員ではなく、公職を離れている「私人」である。
相手がいわゆる「バックラッシュ派」とみなされる人だからといって、主観的に何の事実に基づいたかもわからないような文章で、誹謗中傷にあたりかねない表現を使い、しかもそれをネットで不特定多数の人たちにむけて発信してもいいということにはならないはずだ。しかも、個人が責任をもって個人のブログなどでやるならまだマシだが(それでも誹謗中傷はいけないけれど)、裁判支援団体のニュースレターである。
問題となった会のブログには、こういう問題表現もたくさんあった。どうも、豊中市側の証人としてでてきた人とか、豊中市職員であるとか、いわゆる「バックラッシュ派」とされる人たちとかに対しては(いまや「謝罪チーム」もその仲間入りか)、ネットや大量配布のニュースレター、MLや大量発信個メールなどで誹謗中傷してもかまわない、と思い込んでいるようだ。

一連のブログ問題から「ニュー世話人会」の人たちが何も学んでこなかったことが、また明らかになってしまった。

ML管理人「雇い止め」事件と「女性の連帯」の落とし穴

私が会をやめたとき、同じタイミングで当時のML管理人だったお二人もやめたため、その後を引き継いで、ファイトバックの会ML管理人を引き受けてくださったeniさん。しかし、「MLからメルマガへの移行」に際して、メルマガへの移行にともないeniさんには管理人をやめていただくことになったという世話人会の決定だと、ご本人も知らないうちに一方的に決まったといわれ、そして新しいメルマガには登録を申請しても拒否されたという。これは「管理人雇い止め」とどこが違うのか、とご本人がブログエントリで書いている。

これは本当にひどい扱いだ。一方的な除名扱いに等しいといってもよい。とはいえ、eniさんはまだ会を辞めているわけでもないし、世話人を辞めたわけでもないというのに、、

背景には、eniさんが桂さんへの謝罪をすすめる動きをとったこと、そして、謝罪をめぐる会の方向性に疑問を呈示してきたことなどがあるのだと思う。しかし、意見の違いがあるからといって、コミュニケーションもとらず一方的に「雇い止め」とは、、裁判の主張と完全に矛盾した運動のやり方だと思う。

eniさんがブログで以下のように書いている。

「女性の連帯」という言葉は、力のある女性が、その他大勢の女性に時間とエネルギーを提供させるために都合の良い様に利用されていると思う。

そう、「女性の連帯」という美名のもとに、女性間の権力差や、運動方向性のおかしさが問われることなく隠蔽され、議論がなりたたなくなってしまったのだと思う。
ファイトバックの会の場合、「女性の連帯」とか、「真の敵はバックラッシュ」(だから連帯せよ)なる言葉で、どれだけの異論が見えなくされ、コミュニケーションが成り立たなくされ、どんなに多くの人が利用され、傷ついたか、、

「時間とエネルギー」をたくさん提供した人たちは、それほど今回の件で傷ついた、という状況がある。私は地元在住ではなく、遠方在住で世話人会出席などしてこなかったし、この2年ほどはこの会からできるだけ距離を置こうとしてきていたので、まだ傷は浅いほうだと思う。でも、もっと深くかかわり、時間、エネルギーともに費やしてきた人たちは、本当に、痛いほどに傷ついているようだ。

ここまで多くのフェミニストたちを傷つけ、怒らせた裁判。たとえ勝ったところで(その可能性は低いとは思うが)、何が残るというのだろう。

ニュー世話人会MLに関する謝罪要求書をめぐるやりとり

10月10日付で、ニュー世話人会MLに加入していた方々に対して、謝罪を要求する手紙を謝罪チームにはいっていたメンバーで出した。
それに対する会の返答が11月17日に届いたが、ニュー世話人会MLは「ブログ引っ越し作業用ML」という説明に終始し、かつ話をずらして、謝罪チームが会の分断をはかったなどと主張する内容だったので、それに対する反論の手紙を謝罪チームとして再度、11月29日付で出した。(期日はすべて日本時間。)

謝罪チーム側が送付した2通の手紙については、ファイトバックの会 謝罪問題まとめ@wiki「ニュー世話人会MLについての謝罪要求書」というページをつくりアップしたので、ご参照ください。

MLからメルマガで異論封鎖か

会員の人たちから入ってくる情報によれば、このタイミングでMLからメルマガへの移行ということから、会への異論や批判投稿を封鎖したい狙いがありそうだという。一方的に、メルマガ移行が謝罪反対派世話人たちによって宣言され、今までのML管理人は、メルマガ移行を理由に使った、事実上の「雇い止め」状態。原告側の主張である、T市による雇い止めのケースと、いったい何が違うんだか。

背景には、ML規約に反する、暴力的投稿、あるいは誹謗中傷投稿を繰り返していた2名がMLに投稿できなくする措置をとったことに対し、ニュー世話人たちが、この人たちだけをML投稿不可にするのは不公平だとか言いだしたことがあるらしい。だからといって、いきなりメルマガ化ってのはすごい展開だし、そもそもML規約に反する問題投稿を多数繰り返し、注意してもなおらなかった人たちを外すのは、管理者としてやむをえない措置だったと思う。しかし、この2名がニュー世話人に近い関係の人たちだった。そうではない人たちだったら、2人が投稿できない状態だったとしても、いきなりメルマガ化なんて事態にはならなかったのではないか。

ここまで会としてやっていることと、裁判の主張にズレが目立っていると、もう運動としてはどんづまりで、どこにも行かないどころか、マイナスになってきてしまってると思う。id:discourさんもついに退会宣言されたが、他にも出てきそうな予感。